Liar Liar! | ガットハロのブログ’混石’

Liar Liar!

私にも人並みに妻がいる。いや、「いた」と言った方が正しいか。


妻は美しかった。そして、誰もが彼女を知っている。そう、彼女は女優だ。今でもテレビに彼女の笑顔が映らない日などなく、彼女の名を知らぬ者もない。


しかし、こんな別れが待っていただなんて…。


今はあの出会いすら、彼女と過ごした輝く日々ですら、無かったことにしてかまわない。そう、私は今、この身を切り刻まれるような絶望の中にある。


それでも彼女はテレビの中で、いつもどおり、微笑む。私など、彼女の人生に存在しなかったように。


彼女の名前?そう、あなたも知っているその名は…


 さて、以上のことは全て嘘なので「その名」に誰を入れていただいても構わないのだが、ブログという媒体においては同じ嘘でも「実は俺、地球を救うためにM67星雲から来たんだー、えっとね、マッハ9で」とかいう類の嘘よりも検証し難い。


 いきなり何をイタい話をしているのか。こんな奴の舌は引っこ抜いて塩コショウで下味を付け、こんがりあれこれして、ブランデーでフランベなんたらしてやればいい。どうせまた何枚か生えてくる。


 嘘はよくないと言われる。しかし、古来より伝わる「私は今まで一度も嘘をついたことがない」という嘘つきの名言が示すように、嘘をつかずに人は生きてゆけない。よって、人は処世のうちに「いい嘘」と「わるい嘘」というものを分別するようになる。


 というような導入から深そうな話ができれば私も大したものだが、そんなことはできないので全てなかったことにして、しれっと自分話を始めるのである。


 私は学生時代、作文が大っ嫌いだった。旅行は好きでも「たびのおもいで」を書くのは嫌い、本は読みたくとも感想文は書きたくない、という少年~青年期だったのだ。それこそ「嘘つき」と言われそうだ。「今だらだら書いてる長文は作文と違うんか」と。


 これについてはまず「やれと言われるとやりたくない、やるなと言われるとやりたい」という私のダメな性向が理由として挙げられる。書かなくてもいいから書けるのだ。いい歳こいてバンドなんかやらんでいいよ、つーかやるな、とか言われるからやれるのだ。ほっとけ。


 するりと話が逸れた。私のダメさ加減は今さらなのでどうでもよいが、それ以外にも理由は考えられる。作文と現在の文章で決定的な差があるのだ。


嘘ついてもいいよ


 これだ。これが違うのだ。今なら「私は高校時代、修学旅行で京都のヤンキーと抗争になって、タイマンの相手を救うため新幹線を素手でストップさせて突き指しました」とか書いても大丈夫なのだ。「実はオレ、天使。あー、エンジェル。こないだU2にも政治について歌わせてみた」とか書いてグァバジュースをすすりラジオのミュージックアワーに耳を傾けても大丈夫だ。


 私の頭がちっとも大丈夫でないことになっているが、ここで言いたい「嘘」とは私が新幹線を止めたりボノに入れ知恵したりという類の話ではない。話の誇張や記憶及び知識の空白を埋める想像を書くことである。


 これを嘘と呼ぶには語弊がある気もするが、とにかくそういったあやふやな場所を誇張したり適当な想像で埋めてもよい文章は、ラクだ。もちろんそんな適当なことを書いてもよいと誰かが私に許可を出している訳でもないし、ちゃんとした文章を書けるなら書くべきなのだが。


 ここにアップしている記事の大半は、一般に嘘と呼ばれる事柄を書いてはいないが、誇張や想像に頼った面が多々あり、事実からはきっと遠い。なので、これが学校において提出させられた感想文の類であったれば、当時国語教師だったカオリちゃんから9割がた訂正されてしまうことであろう。


 ということで、国語の勉強はしっかりやっとけばよかったよ3年2組のみんな元気かい、と私の分際で無理から心温まる話になだれ込もうとすればそれこそまごうかたなき嘘つきの姿であり、ここでやっと今日という日に則ったお話になってめでたし、なのであった。




四月一日、エイプリルフールに寄せて。