しまなみ海道のスナップ写真 | YOLO! 人生は一度きり! NYから東京の生活

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2014-2016年はニューヨーク生活、2017年からは東京の生活を書いてます。

「今治焼き鳥」をいただきたくて、愛媛県今治市の常連さんでいっぱいの焼き鳥屋さんに入りました

 

皮焼き

こりこりしてて美味しかった

つくね、胸肉、もも、ハツ、レバー等々全部美味かった

 

今治市のHPより

今治の焼き鳥は「串付き肉を網の上で焼く」という一般的によく見られる方法ではなく「肉や野菜を鉄板の上で焼く」という一見風変わりなもの。
これは、商売人が多く、“せっかち”で待つのが嫌いな気質と言われる今治の人を満足させることから約50年前に考案されたと言われています。
「早い」「安い」「旨い」の三拍子が揃った今治焼き鳥は、多くの支持を得、現在は市内に約70店舗あります。
また、人口あたりの焼き鳥店舗数が日本一(平成10年5月タウンページ)であったことから、平成11年3月には「焼き鳥日本一宣言」をしました。

特に個性的なメニューと言えるのが、「皮焼き」です。
皮のみを焼く店もあれば、少し肉を残した皮を提供する店もあり、「皮焼き」は食感も味も、それぞれの店のこだわりを楽しむことができます。

またタレにも、もちろん店ごとのこだわりを楽しむことができます。
トロリとした甘辛醤油タレ、さらりとしたタレ、おろしタレ、からしタレ・・・
自分に合ったタレの味を見つけるのも、「今治焼き鳥」を楽しむ方法の一つでしょう。

「皮」に始まり、「せんざんき」で終わる・・・というのが今治焼き鳥通の食べ方だそうです。

東京で焼鳥をいただくときは私は塩が多いのですが、ここのタレは美味しかった。

今治焼き鳥は、基本はタレなのでしょう。

常連さんでいっぱいだったのですが、席を詰めてもらって仲間にいれてもらいました。

奇声を挙げる人、歌いだす人、厨房に入ってお酒を取り出していく人、常連さんと飲んで食べた焼き鳥は最高でした!

 

 

村上海賊の能島城址からのぞむ大島大橋

能島城址は、大島と伯方島の間に位置する、周囲約720mの能島と鯛崎島の2つの無人島に残る海城跡。瀬戸内海で大きな勢力を誇っていた能島村上海賊の本拠地として1419年に築城された

日本最大の海賊「能島村上海賊」の拠点です

数百人が住んでいたという小さな島です

近くにある「村上海賊ミュージアム」に行くと、村上海賊は掟に従って海上の安全を守り、様々な諸国の大名ともつながりを持って瀬戸内海を支配し、文化的な暮らしをしていた。いわゆる「パイレーツ」とは違うということが強調されていました

つまり

こういう人たちではなかったということですね

 

能島近くの潮流体験で激しい流れを体験してきました

瀬戸内海では常識らしいですが
瀬戸内海は満潮時は東西から潮が満ちてきて瀬戸内海の真ん中あたりでぶつかり
干潮時は東西に潮が引いていくので
瀬戸内海の真ん中あたりの大島では最大時速18キロぐらいの急流になり
船が折れるぐらいの急流なので「船折瀬戸」と呼ばれるのだそうです

 

そして大島でヒオウギ貝やムール貝や岩牡蠣の七輪焼きをいただきました

水槽からとって焼くので新鮮でぷりぷり

 

多々羅大橋

瀬戸内海の水って綺麗ですね

 

 

今治城

お城の前に立つ銅像は、この城を築いた藤堂高虎の像
彼は築城の名人で、城の入口が折れ曲がっている桝形虎口などを開発した人です
 
関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城です。別名吹揚城(ふきあげじょう)ともいいます。
慶長7年(1602)に築城を始め、建造物も含めて完成したのは同13年頃と推測されます。海水が引かれた広大な堀や、城内の港として国内最大級の船入を備えた日本屈指の海城でした。寛永12年(1635)より松平(久松)氏の居城となりました。
明治維新後に建造物のほとんどが取り壊され、内堀と主郭部の石垣を残すのみとなりました。昭和28年(1953)に県指定史跡となり、昭和55年(1980)以降、主郭部跡に天守をはじめとする櫓、門などの再建が進み、雄大な城郭の姿を見せています。

明治2年に廃城されて破却され、実際に天守があったのかどうか確認はされていないので、再建された天守は、史実に基づかない模擬天守とのこと

 

100名城に選ばれています

 

今治城天守から見た眺め

 

大三島のお食事処大漁の全部のせ丼

雲丹までのってて美味しかった

 

大三島にある大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)

日本総鎮守と呼ばれ、全国に一万社あまりの分社を持つ神社
国宝8件、国の重要文化財76件があり
国宝・国の重要文化財の指定をうけた日本の武具類の約4割がこの神社に集まっており、甲冑の保存は全国一とのこと
写真左の社号標(大日本総鎮守大山祇神社)の社号石は、初代内閣総理大臣の伊藤博文が参拝記念に書いたものだそうです
 

 

伯方島では伯方の塩工場へ行って、伯方の塩ソフトクリームをいただきました

ソフトクリームに伯方の塩をふってくれるんです

塩をふると甘さが際立つんですね

 

福山駅から見える福山城天守

1622年に完成、1873年(明治6年)廃城令により廃城。町民の寄付金で維持し続け、1931年(昭和6年)、国宝に指定
しかし1945年(昭和20年)8月8日、終戦の1週間前に福山空襲で焼失
現在の天守は1966年(昭和41年)に寄付金で再建された
 
空襲や原爆で焼失してしまった国宝の城は六城あり
名古屋城(1945年5月14日空襲で焼失)、大垣城(1945年7月29日空襲で焼失)、和歌山城(1945年7月9日空襲で焼失)、岡山城(1945年6月29日空襲で焼失)、福山城(1945年8月8日空襲で焼失)、広島城(1945年8月6日原爆で倒壊焼失)なのだそうです
 
そしてこれが今回の旅行で一番驚いた福山駅から見えるケルン大聖堂教会風のたてもの

この建物は知らなかった

 

日本にもこんな大聖堂があるんだ!って驚いたけど

 

調べたらこちらは「セント・ヴァレンタイン大聖堂」という結婚式場なのですね

 

でも日本にこんな大きな教会みたいな建物があるなんて知らなかった

 

国内最大の60メートルの尖塔なのだそうです

 

ちなみにケルン大聖堂は144メートルらしいです