「今治焼き鳥」をいただきたくて、愛媛県今治市の常連さんでいっぱいの焼き鳥屋さんに入りました
皮焼き
こりこりしてて美味しかった
つくね、胸肉、もも、ハツ、レバー等々全部美味かった
今治市のHPより
今治の焼き鳥は「串付き肉を網の上で焼く」という一般的によく見られる方法ではなく「肉や野菜を鉄板の上で焼く」という一見風変わりなもの。
これは、商売人が多く、“せっかち”で待つのが嫌いな気質と言われる今治の人を満足させることから約50年前に考案されたと言われています。
「早い」「安い」「旨い」の三拍子が揃った今治焼き鳥は、多くの支持を得、現在は市内に約70店舗あります。
また、人口あたりの焼き鳥店舗数が日本一(平成10年5月タウンページ)であったことから、平成11年3月には「焼き鳥日本一宣言」をしました。特に個性的なメニューと言えるのが、「皮焼き」です。
皮のみを焼く店もあれば、少し肉を残した皮を提供する店もあり、「皮焼き」は食感も味も、それぞれの店のこだわりを楽しむことができます。またタレにも、もちろん店ごとのこだわりを楽しむことができます。
トロリとした甘辛醤油タレ、さらりとしたタレ、おろしタレ、からしタレ・・・
自分に合ったタレの味を見つけるのも、「今治焼き鳥」を楽しむ方法の一つでしょう。「皮」に始まり、「せんざんき」で終わる・・・というのが今治焼き鳥通の食べ方だそうです。
東京で焼鳥をいただくときは私は塩が多いのですが、ここのタレは美味しかった。
今治焼き鳥は、基本はタレなのでしょう。
常連さんでいっぱいだったのですが、席を詰めてもらって仲間にいれてもらいました。
奇声を挙げる人、歌いだす人、厨房に入ってお酒を取り出していく人、常連さんと飲んで食べた焼き鳥は最高でした!
村上海賊の能島城址からのぞむ大島大橋
能島城址は、大島と伯方島の間に位置する、周囲約720mの能島と鯛崎島の2つの無人島に残る海城跡。瀬戸内海で大きな勢力を誇っていた能島村上海賊の本拠地として1419年に築城された
日本最大の海賊「能島村上海賊」の拠点です
数百人が住んでいたという小さな島です
近くにある「村上海賊ミュージアム」に行くと、村上海賊は掟に従って海上の安全を守り、様々な諸国の大名ともつながりを持って瀬戸内海を支配し、文化的な暮らしをしていた。いわゆる「パイレーツ」とは違うということが強調されていました
つまり
こういう人たちではなかったということですね
能島近くの潮流体験で激しい流れを体験してきました
そして大島でヒオウギ貝やムール貝や岩牡蠣の七輪焼きをいただきました
多々羅大橋
瀬戸内海の水って綺麗ですね
今治城
関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城です。別名吹揚城(ふきあげじょう)ともいいます。
慶長7年(1602)に築城を始め、建造物も含めて完成したのは同13年頃と推測されます。海水が引かれた広大な堀や、城内の港として国内最大級の船入を備えた日本屈指の海城でした。寛永12年(1635)より松平(久松)氏の居城となりました。
明治維新後に建造物のほとんどが取り壊され、内堀と主郭部の石垣を残すのみとなりました。昭和28年(1953)に県指定史跡となり、昭和55年(1980)以降、主郭部跡に天守をはじめとする櫓、門などの再建が進み、雄大な城郭の姿を見せています。
明治2年に廃城されて破却され、実際に天守があったのかどうか確認はされていないので、再建された天守は、史実に基づかない模擬天守とのこと
100名城に選ばれています
今治城天守から見た眺め
大三島のお食事処大漁の全部のせ丼
雲丹までのってて美味しかった
大三島にある大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)
伯方島では伯方の塩工場へ行って、伯方の塩ソフトクリームをいただきました
塩をふると甘さが際立つんですね
福山駅から見える福山城天守
この建物は知らなかった
日本にもこんな大聖堂があるんだ!って驚いたけど
調べたらこちらは「セント・ヴァレンタイン大聖堂」という結婚式場なのですね
でも日本にこんな大きな教会みたいな建物があるなんて知らなかった
国内最大の60メートルの尖塔なのだそうです
ちなみにケルン大聖堂は144メートルらしいです