東京の六本木ー渋谷間の都バスの24時間試験運行は失敗ということでやめるのですね。
私はあまり東京の交通機関24時間運行は賛成ではないです。
東京でさんざん終電を乗り過ごして後悔をし
NYではさんざん24時間運行に助けられてきた身ではありますが。
何よりも治安悪化が心配ですね。
NYで、深夜未明に地下鉄に乗っても、危ない目にあったという人に会ったことはありません。
私も泥酔して前後不覚状態で深夜未明に乗ったことが数回ありますが、何もありませんでした。
でも何もなかったのは偶然だと思います。
凄く反省しています。
NYの地下鉄が、ましてや深夜未明に、とても安全には思えない。
NYの地下鉄のほか、シカゴの地下鉄・鉄道も24時間運行のようですね。
そのほか、ロンドンも来年から地下鉄の24時間運行が始まるみたいですね。
今現在は、ロンドンやパリは、深夜は地下鉄を止めて、バスを使って24時間移動できるようにしているようです。
泥酔して、終電を乗り過ごしたりして、タクシーで帰って、電車ならば定期があればタダ、切符を買っても数百円で帰れるところを、タクシーに1万円とか払って帰り、深く反省する。
それがいいんです。終電乗り過ごして、500円で帰れたら、反省しません。
飲みすぎた。調子に乗りすぎた。もうこういうことはやめよう。もう二度とこういうことはしません。
この1万円は天罰だ。
そこで心の底から反省して、一から出直す。
その謙虚な気持ちは、タクシー代1万円で生まれてくるのです。
遠くまで寝過ごせば寝過ごすほど、タクシー代は高くなる。
よくできているんです。
最高3万5千円タクシー代がかかったことがあります。
その時は通常の反省では足りませんでした。
「お客さん、3万5千円あったら、房総半島の先端までタクシーでゴルフに行けますよ。ハハハ」
大大大反省。
東京から房総半島先端までタクシーでゴルフに行けるぐらいのタクシー代。
これはショックでした。
だって、房総半島先端って、夏休みとかに家族旅行に行ったりするぐらいのところじゃないですか。
それをタクシーで行けるぐらいの料金だなんて。
水着を着て、頭には麦わら帽子をかぶって、タオルを肩にかけて、タクシーに乗って、「ちょっと房総半島の先端の海水浴場までお願い」と言っている自分の姿をしっかりと心に刻み、あのときにちょっと調子に乗ったがために、こんなに大きな犠牲を払わなければならなかったんだ、と二度と忘れないように誓ったのでした。
だから、鋼鉄の意思をもって、寝過ごした駅から、家まで歩いて帰ったことがあります。
絶対にタクシー代は払わない。反省は、長い距離を歩くことによって、肉体的に罰を受けるのだと。
5時間かかりました。家まで。
家に着いたのは朝6時でした。
始発に乗って帰った方が早かったですね。
すごい鋼鉄の意思ですね。
実はこれは鋼鉄の意思で歩いたのではなく、
ただ単に酔っていて、そんなにかかると思っていなかったからなんです。
乗り過ごして降りた駅から、自分の家までどのくらいの距離があるのか考えられず、単純に走って帰れば1時間ぐらいで着くかと思って、最初の数十分は走ったんです。
泥酔していて周りに誰もおらず、真っ暗だから、結構勢いつけて走りました。
それで駅舎が見えてきたので、そろそろ半分くらい来たかな、と思って駅名を見たら、
まだ隣の駅だったので愕然としました。
まだ10駅ぐらいあったので。
それで歩いてもあと1-2時間ぐらいで着くだろうと、
たかをくくって歩いて行ったら、
結局5時間かかった。
翌日は運転免許証の書き換えの最後の日で、
這ってでも運転免許証の書き換えにいかなければならない。
二日酔いなのに寝ずに、這うようにして再び電車に乗って遠くにある試験場まで行きましたよ。
手続きを終えて、何時間か待ち時間があったのですが、どうしても気持ち悪くて横になりたくて、
周りを見たら、
ちょうど献血車が
「献血募集中。冷たいジュースあります。横になっているだけで終わります」
って、のぼりを立てて止まっていた。
「これだ。やっぱり天罰が下った後には、天からの授かりものがあるんだ」
と思いました。
暑い夏の盛りだったので、涼しい車内で、冷たいジュースを飲んで、横になっているだけで、しかも無料。
こんなにもいい条件のものが目の前に停まっているなんて。
気持ちよかったです。
冷たいジュースを飲んでから
「血は好きなだけとってください」と言って、
あとは爆睡しちゃいました。
冗談です。二日酔いでさすがに献血はできませんでした。
終電乗り過ごして下るタクシー代という天罰は、二日酔いの地獄の苦しみと同じですね。
ああ飲みすぎた。だけど、翌日、なんにもなくてケロッとしていたら、どうですか。
飲みすぎたなんて反省しませんよね。
吐いて吐きまくって、
胃液も全部吐き出して、
地獄の苦しみを味わってこそ、
ああ、もう二度と飲みすぎません、
もうこの気持ちは一生忘れません、
そうやって、心の底から反省するんです。
終電と二日酔いはそうやって、人を謙虚にする効果があるんです。
私は終電=謙虚さを維持する謙虚維持装置の役割を果たしていると思います。
しかしそれでも、
何度も終電を逃して、何度もタクシー代ウン万円を払って、何度も心の底から誓うのですが、
何日か経つとケロッと忘れてしまって、
再び同じ過ちを繰り返す。
これはなんでなんでしょうねえ?
二日酔いも、
ああ、もう二度とあんなに底が抜けたバケツのように飲んだりしません。
と寝床の中でのたうち回りながら、深く深く反省するのですが、
何日か経つと忘れてしまって、飲めや歌えや状態に戻ってしまいます。
うーん。不思議だ。
二日酔いでは、アルコールを肝臓が分解して生まれるアセトアルデヒドという物質が自己嫌悪の気持ちを生み出す、ということを聞いたことがあります。
何日か経つと、アセトアルデヒドがきれてしまって、反省の気持ちも切れてしまうのかな?
なんて言い訳めいたことを考えてみましたが。