うっかり一カ月近くも放置である。なにをしているのか。
しかしもちろん、なにもしていなかった分けではない。
新しいサークル、ではなく学内文科系サークルで一、二を争う程の硬派な放送研究部なる部活に入り、偉い先生を招いてのアナウンサー講習を行い未知の世界との邂逅を果たしたり社会で女性にとって必要なマナー等を学んだりした。寿司屋と騙されてただの居酒屋でバイトをしたりもした。酒の名も未だ良く知らない女学生が酒を作りの割合や分量、果ては使用するグラスにまで翻弄された。店の厨房は店長以外が皆中国人で、おまけに四階建ての店内を各フロアでは一人ずつ切り盛りしなければならなかった。驚くことに研修期間はなかった。オーダーをとり、ドリンクを作り、料理を上の厨房に頼む。料理用エスカレーターを使いこなし、料理を運ぶ。またオーダーを受け、皿を下げ、その皿を洗う。またオーダーを受けながら上から下りてきた皿も洗い上に送り返す。また酒を作る。材料が足りず走って三階先まで取りに行く。その間空になった自分のフロアでオーダーがあったら終わりである。学校帰りに七時間程こんなことをしていた。途中休憩を十五分貰えるのだが、時間内で150円の賄いを食す。かりにも海鮮居酒屋の賄いはカレーだったりする。毎回私だけは量を半分だけにして貰ったが、完食できたことはない。三分の一食べれれば良い方であろう。帰りは終電に間に合う為無駄に広い東京の駅構内を走った。私はバイトに出る度に一キロずつ体重が落ちて行った。しかし私を本当の意味で困らせたのは人間関係だった。そのバイト先では三人の男女がいたのだが私はフリーターの男女二名と一緒になることが多かった。これには困った。彼らには彼らの職務への美学があった。言ってしまえば『自分ルール』である。各フロアに行く事に決まりが違う。私は各階に行く度にそのルールに合わせた。しかし、彼らはまず自分の仕事を奪われることをなにより恐れた。それはこのバイト先には早上がりなる制度があり客が入らないと規定時間よりも何時間も早く上げてしまうことも原因だった。しかしなによりは、もう自分がした仕事にしか完璧とはいえまいというなにか良く分からない、仕事への尋常でない熱意があった。もっと正しく云うならば、自分のルールを守ることへの熱意が。また、店には唯一アルバイトとは称するよりはパートと呼ぶべき婦人がいた。店長よりも高齢というその婦人はバイトメンバーを越え、厨房の中国人にも評判は最悪だった。私も初日からの余りの彼女の態度や言動に閉口してしまったが、それは仕方がないことのようにも思えた。相手は自分よりもずっと年上の年配の女性である。幾ら子供っぽく、また性根が曲がりきっていようとも、その歳までそう生きてきた人間がそんなに簡単には変わることなどできない。故にこれに耐えるのは若い者の義務のような気がした。出来るだけ距離を置きつつ、どうしても避けれない時間は相手の神経を逆なでぬよう気を使うのだ。そうしているうちに、彼女はなにかと私を気にかけるようになってくれた。正直、その気にかけ方はお節介を超越した有難迷惑ではあったが、それに耐えるのもまた仕事の一貫である。しかし、周りのフリーター達はそうではなかった。職場で口汚く罵ったりするのを何度も聞いた。私を挟んで口喧嘩になってしまったこともあった。けれど一番閉口したのが店長だった。彼はバイト面接時に他のバイト生については頼んでいなにのに各人について語ったが、彼女については『居る』という一言で尽きた。嫌な予感はしたが、店長も彼女を良くは思っていなかった。それどころか嫌っていた。どんなに内心良く思っていなくとも、職場で。あわば彼女がいない朝礼で、年上である彼女をババアと言ってねめつけるのにははたはた困り果てた。それはどんなことがあっても自分が雇い続けている目上の女性に対しての言葉ではなかった。不満があるのならば解雇してからにして欲しかった。そして、彼女を解雇しても変わりのあてが直ぐにあるようではない職場を作っているのは彼自身である。私はその日バイトを辞める決心をした。
でも色々勉強になりました。将来のこととか、ちゃんと考える一つの機会になったのでとてもよかったです。
今は次のバイトの面接待ちであったりします。