森羅万象あらゆるものに必ず三つの側面がある
と、私は確信しています。
学生の頃、「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である」というアインシュタインの有名な言葉に導かれ、次のように考えたことがあります。
科学は、世界がどのように存在するのかという真理を求める。宗教は、世界がどのように存在しなければならないかという真理を求める。
さらにそこから、世界はいかに往くべきかについての真理があると考えることができる。
これらから三様の真理が考えられ、それぞれの真理を軸にした三様の世界観が成立する。
世界観はある意味十人十色かもしれませんが、最高度に抽象化すれば三つに集約されると思えました。それ以上に抽象化・一般化すれば世界観ではなく、誰にとっても同一の《世界》自体の知覚となります。
私は三つの世界観を、海に浮かぶ小さい島とその中央に聳え立つ一本の柱、島に立つ一人の人を描き、それらを四角い枠で囲んだ図で表現しました。四角い枠は世界の枠で、柱は世界を支える《真理》です。
言語化する代わりにこの図を三つのパターンに描き分けました。
この一般化された世界観を考えつくことで、物凄いことを発見してしまったと感じ、哲学に強い興味を持っていた私は、哲学の道に入ってこれを生涯の研究テーマにしようかなどと妄想していました。
そして、他にも同じことを言っている人はいないかと探したのですが、、、
いました!
ドイツの哲学者で精神科学の提唱者、ヴィルヘルム・ディルタイです。ディルタイは自身の世界観学において、自然主義、自由の観念論、客観的観念論という世界観の類型を考えました。
100年以上も前に既に論じられているものだったので、とっくの昔に先を越されていたという思いで少し残念に思いました。
しかしながら、世界観だけでなくひょっとしてあらゆる事柄に三つの側面があるのでは?と思い付き、身の回りの卑近なことから抽象的な思考のことまでこの仮説が当てはまるか色々試してみるとうまくいったので、これまたとんでもない事を発見したと思いました。
しかしこれも、
「アメリカ合衆国の哲学者たちの中で最も独創的かつ多才であり、そしてアメリカの最も偉大な論理学者」と言われているチャールズ・サンダース・パース(1839〜1914)によって既に示されている〈現象学的な真理〉でした。
大抵のことは既に誰かが発見しているものだと悟りました。
私がパースの思想を知る前にこの真理を発見した当初、三つの側面の普遍的な名称としてムード、モード、モダリティというものを考えていました。いずれも「様式」と和訳できるのですが、当時の私は、
〈感覚とは様式の知覚である〉
という仮説を立てており、ムード、モード、モダリティを普遍的な名称として選んだ理由は、感覚を心の動きの最初のものと見做していたからです。
パースはと言えば、当初の呼び名の候補として質、関係、表象を考えていたようです。また、第一に感情、第二に努力、第三に習慣をそれらの代表例として挙げていたようです。
最終的に、パースは、Firstness、Secondness、Thirdness(第一性、第二性、第三性)という語を選びました。
私はと言えば、様式ということについて言えば、style、mode、patternがそれぞれ第一性的、第二性的、第三性的なものと考えています。
