お疲れさまです。


蘭華でございます。




雨の1日になりました。



ドキュメンタリー番組を見ながら思考を巡らせていました。



ゼロの表現。

不易流行。

という言葉が出てきまして。


改めて私の思考の方向性は

若いときほどはブレなくなってきたなあと再確認できたような気がしました。


全てのものは流動的である。

この言葉が好きでずっと心の支えにしています。


時間に追われて振り回されているのが現実だけれど

実際には何も変わらない。


そういう視点に出逢えたら

心は楽になる。


自由というのは

二つあると私は考えます。


ひとつは限りない可能性を秘めた空間という、自由。

もうひとつは

限られた狭い範囲だけれど、その中で

努力して羽を広げることが出来る

自由。


前者は才能も運も備えた人たちが目指せばいい自由。


私自身は後者のほうが、より現実的と思うので、こっちが好きですね♪

なにより楽ですから♪笑


要は自由と見るか不自由と見るかの違いだと思うのです。


そのためには苦労と苦痛の違いを知ること。

苦痛は身体に悪い。


でも苦労は身体に良いのです。


苦労というのは汗をかいて体力と頭を使って努力すること。

その目標が明確にあるときは、それが苦労であっても苦にならない。


目標を見失った時に苦労が苦痛に変わるということ。


とすれば。

小さな目標も大事ですが

大きな目標も、もっと大事になります。


大きな目標とは人生観。

どう生きるか。

なぜ生まれてきたか。

どこに行こうとしているか

どこに行くべきか。

この目標を考えるときに

自由の定義が必要になってきます。

視点を間違えるとすごく不自由な気持ちになることもあるでしょう。

思うようにならない。

やってみたけど失敗した。

でもこれも大きな目標から考えれば

ただの流れのひとつに過ぎないということ。

心の中には不変なものがあります。


そこは実は何も変わっていない。

ということ。


生まれて、生きて、死んでいく。

この繰り返しです。


大切なものは既に全て心の中に存在しているのだと気づくか気づかないか。だけだと思うのですよ。


それを踏まえて。

自分の欲とどれだけ折り合いをつけていくか。

夢を追えるか。

そこが醍醐味と言いますか。

生きる楽しみと言いますか。

そうだと思うのですよ。


最初は物欲。

でも最終的には

心の中の自由に欲は変化していくものです。


ゼロの表現というのは、言葉にならないものを伝える手段。


この境地は凄い場所なんだよと心から伝える為に

言葉にしないこと。

その人、その人の感じる感性でしか読み取れない

表現方法です。


見えないものを見えるようになると

すごく気持ちが軽くなる。

心で遊べる。

そんな感じでしょうか。

自分、いま頑張ってるなあ。

えらいなあ。なんて。

他人事みたいに観察できる視点

苦労が苦にならなくなる視点を

見つけてくださいね。



明日も良い1日に

なります♪
















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