ども、
彼が高校野球、尽誠学園のエースだった頃、
尽誠学園の試合には、「イラブ待ち」 という時間がありました
絶対的エースの彼は、試合途中でマウンドを他のピッチャーに譲った場合
ベンチに戻り、自分の荷物をまとめると、
試合途中でも、グラウンドの真ん中を通り、先に引上げるので
その間試合が中断してしまうのです
それが、「イラブ待ち」

1997年、
在籍していたロッテ球団は、サンディエゴ・パドレスにトレードしようとするも
紆余曲折の末、我がヤンクスと契約
マスコミからは、「ルール無視の大リーグ移籍」とたたかれましたが
マスコミのみなさんなら、
本人が物心ついた時にはすでにいなかった、
実のお父さんに今の自分を見せたいという
彼の気持ちがわかっていたはずです
もしかしたら会いたかったのかもしれません
きっと、アメリカのどこかにいる本当のお父さんに。

入団時、
希望の背番号を聞かれ、「何番でもいい」 と答えました
なぜなら、
「胸にNYと書いてあれば、それで充分だから」
この言葉に、スタインブレナーはとても喜んでいました
それだけヤンキースに入団したかったということ。
しかし、
秀輝の思いはほんの少し違っていたかもしれません、
ヤンキースで活躍すれば、サンディエゴ・パドレスの10倍も20倍もニューズになります
ヤンキースでなら、
きっとお父さんが見てくれるに違いないと。

ヤンクスでの3年間で、彼の成績は29勝20敗
マウンドでの態度が悪く、マスコミやファンからはさんざんたたかれましたが、
5番目の先発投手としては、まったく問題ない成績でした

惜しいのは、今までメジャーへ渡った日本人投手の中で
最も速い球を投げ、野茂と遜色ないフォークボールを投げたものの
メジャーではあまり投げる投手のいない、大きく曲がり落ちるカーブを、
メジャーの審判がほとんどストライクに取ってもらえなかったこと
あまり多くは投げないので、バッターも思わず見逃すけど、
主審も球筋が把握できず、迷ったらボールみたいなことが多かったです。

さようなら秀輝
あなたはヤンクスの一員としてワールドチャンピオンとなった。
立派なヤンクスファミリーです
忘れることはありません。
by グランダーソン、テシェーラご両人28号おめでとう廿八号
ps 98年のヤンクスキャンプに、父だと名乗る方が訪ねて来て、
実のお父さんに会ったようです。