南向山 西方院の御朱印 | お多福豆のブログ-御朱印巡りと花の旅-

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寺社巡りの旅をするお多福豆一行。
津々浦々、風に吹かれるかの如く気の向くままに。
旅の思い出を綴りました。
寺社巡り・御朱印・季節の花々・お土産・郷土料理・・・etc。
更新は不定期ですが、よろしくお願いいたします。


西方院の御朱印。
読み方はサイホウイン。


叡福寺の山門から西方院の山門を望む。
ちょうど竹内街道を挟んで叡福寺と西方院は向かい合って建っていました。


西方院は聖徳太子の侍女である三尼公の御廟です。
三尼公は善信尼・禅蔵尼・恵善尼の3名のことを言います。
叡福寺は聖徳太子の御廟、西方院は三尼公の御廟。
その縁はかつて聖徳太子が逝去した際にこの侍女の3人は出家します。
出家し尼になった侍女達は御廟のある叡福寺の向かいに「法楽寺」を建てました。
それが西方院の始まりだと言われています。


石段と石垣。
三尼公の構成は蘇我氏の娘・小野氏の娘・物部氏の娘でできています。
侍女は「高貴な人の側に仕える女性」をさすので、もちろん仕える本人達も身分の高い女性です。
三尼公は蘇我氏・小野氏・物部氏のお家の娘さん達ですから、現代的に言うならばめっちゃお嬢様です。
「聖徳太子」が一つの固有名詞のようにとらわれがちだから聖徳太子の身分を家臣のように思う人もいるかも知れませんが、聖徳太子は「太子」なので皇子なんですよ。
つまり天皇陛下の子供です。
ちなみに聖徳太子の本名は厩戸皇子。
聖徳太子という名前の印象が強いからか忘れられがちですが、用明天皇の皇子なんですよ。
後に推古天皇が即位される時に聖徳太子は皇子から皇太子の身分になります。
この時に摂政になり、政務に就くこととなりました。
摂政としての功績の方が印象的だからか聖徳太子を臣下のように考える人もいるかもしれませんが、聖徳太子は皇太子なので家臣や家来の類ではありません。
だからとても高貴な存在です。
なので仕える侍女もちゃんとしたお嬢さん達という訳です。

説明が長くなってしまってすみません。


西方院は新西国三十三ヶ所霊場第8番札所です。
また、西方院は日本最古の尼寺だと言われています。


本堂。
御本尊は阿弥陀如来様。
聖徳太子作と言われている阿弥陀如来様です。


観音堂。
御本尊は十一面観音様。


寺務所。


椿の花。


鐘楼とお地蔵様。


路地の風景。


古い町並みが印象的でした。
叡福寺・西方院などの近くを国道166号線が通っています。
国道166号線はかつては竹ノ内街道と呼ばれていました。
竹内街道は大阪府堺市から奈良県橿原市に続く日本最古の街道です。



太子町のマンホールの蓋。
町の木はクスノキ、町の花はサツキ。
十七条憲法の「以和為貴」が書かれています。





西方院のホームページ http://www.saihoin.com/

住所:大阪府南河内郡太子町大使1663

最寄駅:近鉄南大阪線上ノ太子駅