こんにちは(*^^*)
週末の土曜日。
旦那様のリフレッシュを兼ねて、行ってきました( *´艸`)
備中松山城♪
このお城は、現存12天守の一つ。
現存12天守とは、
江戸時代、または江戸時代前に建てられた天守を持つお城のこと。
お城巡りも好きなんで、姫路城、彦根城、犬山城、松江城と
この備中松山城を合わせて5カ所目となりました(*^^*)
前回は、中まで入れなかったんですよ(>_<)
閉城時間過ぎてしまったので(笑)
今回はちゃんと中まで観てきました♪
今まで観てきた、天守に比べると、非常に小さい天守なので、
正直、中には期待してませんでした(;^ω^)w
大変な思いをしてまで、急こう配の山登りをして、中がしょぼいって
ガッカリするよなあって思っていたんです(笑)
入城してみると、他のお城に比べて展示物も少なく、解説パネルは
昭和に復元修理をした内容と、松山城の最後の歴史である、
幕末のお話。
平成に入ってからの復元修理のお話くらい。
展示物もお城から出土しているものや、屋根瓦とかそういう考古学的なものがちらほら。
ただ、他の天守と違う所は、
立ち入り禁止の場所が無いこと。
他の天守だと、どっか一箇所はロープが張ってあって、中には入れずその場で見学するだけなんだけど、このお城はそれが無かった(*^^*)
思う存分、隅から隅まで拝観できるお城でした。
備中松山城は、鎌倉時代からある山城で、臥牛山(がぎゅうざん)と呼ばれる
4つの峰からなる山の一つ、小松山に天守があります。
歴史は鎌倉時代までさかのぼって、臥牛山の大松山に最初のお城が築城され、
鎌倉時代が終わりを迎える頃には、小松山まで城が拡張されていったそうです。
この頃から、この山城では戦が絶えず、戦国時代には
毛利氏が城主となっているものの、この城の覇権争いは時代を越えて続きました。
幾度も籠城などを繰り返したお城だそうで、籠城のために、囲炉裏まで作ってありました。
天守の中に囲炉裏があるっていうのも珍しいですよね(*^^*)
江戸時代に入ると、赤穂浪士のお話で有名になる、浅野内匠頭の預かりとなり
一年半ほど、大石内蔵助が城番として住んでいたこともあるんだそうです。
幕末で松山藩は、幕府方について、戊辰戦争まで戦い敗れました。
お城を任されていた、陽明学者の山田方谷が、無血開城をしたそうです。
戦乱の世を耐え忍んだお城。
歴史を知ると、また一味も二味も楽しめるなあって思います(*^^*)
そうそう。
この備中松山城は、NHKで放送された大河ドラマ『真田丸』のオープニングにも使われたそうです(*^^*)
松山城のある高梁市は、それ以外にも数多くのドラマや映画のロケ地になってる場所が多く
あります。
ということで、松山城の拝観を終えたあと向かったさきは・・・・
ドラマも映画も有名となった、ある推理小説には欠かせない舞台のモデルとなった
場所に行くことにしました(*^^*)
その前に・・・・・
道中で見つけた昔懐かし、ドライブインでちょっと遅めの昼食を♪
おうどん屋さんがあったんで、ガッツリお腹を満たしました(*^^*)