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さあ、気合入れ直して(笑)

続きを書いていこうと思います(*^^*)

 

八重垣神社を後にして、向かうは米子方面♪

 

まずはこちらの神社に(*^^*)

阿太加夜神社(あだがやじんじゃ)

この説明文を読むと、面白い言葉が出てきます(*^^*)

それが、出雲郷とかいて「あだがえ」

これは、絶対読めないよね(笑)

由来を調べたけど、詳しいことはわからず・・・

一番有力なのは、出雲風土記に出てくる阿太加夜神社からとったのではないかということと、

それこそ近世の時代に定着した呼び方だということぐらいでした(+_+)

この神社の御祭神は、アダガヤヌシタキヒメノミコトと言って、大国主命の子どもにあたる神様です。

そして、この神社では、10年に一度の大祭「ホーランエンヤ」という日本三大船神事が有名だそう。

前回は2019年に行われたようなので、次は2029年・・・・ちょっと楽しみ♪

この神社には、他にも「荒神(こうしん)」さまが祀られています。

それが、「町荒神(まちこうじん)」と「竹ノ花荒神(たけのはなこうじん)」です。

御神木であるタブノキに大繩で、蛇を模ったしめ縄を巻いて、出雲郷の荒神様をお祀りしています。

「町荒神」の方は、大きく口を開けた阿形、「竹ノ花荒神」の方は、口を閉じた吽形。

ただ、今年は吽形のほうだけで、阿形はありませんでした(>_<)

残念。

 

この神社の横には、面足山万葉公園という小さな雑木林があります。

ここには、出雲風土記に書かれている「国引き」の記念碑や、万葉歌人門部王の歌碑があったり、雑木林の中には万葉集の和歌が沢山飾られています(*^^*)

神社の裏手には、他にも、

 

河童橋という場所が(*^^*)

 

ここにはその昔、いたずら好きの河童が棲んでいて、ある日この川に阿太加夜神社の神官と一緒に訪れた馬をこの川に引きずり込もうとしました。

馬は驚いて逃げ帰ります。神官も帰路について、馬小屋を覗くと、そこには息も絶え絶えになった河童がいました。

驚いた馬が連れて帰ってきちゃったんですねw

神官は河童に「二度と、こんないたずらするんじゃないぞ」って注意をしました。

河童は「二度と、しません」と詫び状まで書いて謝ったそうです。

(河童って字書けるんだ・・・・w)

その後、この川で子どもたちが水泳をする時に「蘆高の氏子!」って叫んでから泳ぐと

溺れる者が出なかったという伝説があります。

 

いたずら好きの河童が命を助けてもらったことに感謝し、反省して、神社の氏子である民を守ったというお話。

いつのまにか、ここの河童は、水神さんとして信仰されるようになりました(*^^*)

願掛けの場所まであるんです(*^^*)

民間信仰の面白いところですね♪

 

 

その後、もう一つの気になった神社に。

 

荒島八幡宮(あらしまはちまんぐう)

この神社も、由緒書きなどの説明文が無いので、創建や御祭神が不明(;^ω^)

ということで、またもネット検索です(笑)

 

分かったことと言えば、八幡宮なので御祭神は

 

【八幡大神】誉田別尊(応神天皇)
【比売大神】多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命
【神功皇后】息長帯姫命

であろうということぐらい(笑)

色々調べていたら、「全国八幡宮連合」というホームページまで見つけちゃいました(笑)

色んな組織があるもんだ( *´艸`)

 

そして、この神社の摂社なのか、末社なのかそれも謎ですが、

おおきな一枚岩の上にお稲荷さんが祀られています。

 

こんな急こう配を登っていく(笑)

上から撮ると、怖いなあ(;^ω^)

コケもびっしりだし、降りるのは足がすくみます((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルw

そんなうちをよそに、旦那様は、サッサと裏道をみつけ、そこから降りていく・・・(;一_一)ww

さすがに怪我はしたくない(;^ω^)

すぐさま旦那様の後を追いました(笑)

 

他にもこの神社には、面白いモノがありました。

それが灯篭なんですが

大きさは2メートルぐらいあるんじゃなかろうか。。。。

とても巨大な灯篭。

写真におさめていればよかった・・・・

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(画像お借りしました)

灯篭ってこんな感じですよね(*^^*)

でもこの神社の奥にある灯篭は、火を灯すところが四角ではなく、

球体です。

そして、窓のところは、片方は「三日月」片方は「太陽」の形です。

ちょっと変わってるなあと思い、また調べる・・・(笑)

 

すると、こんなお話がありました。

 

 

「荒島」という地名の由来は、この地が海岸に近いことから波風が強く、古くから田んぼや民家を壊してきた。そのため住民はこの地に住むことを常に不安がっていた。このように中海の波濤(はとう)が荒々しいことからこの地を「荒島村」と呼んだ。

 ところが不思議なことに、海岸近くの山に「金色のうさぎ」が現れ、「日と月の神様を祭れば風や波の被害が無くなり、住民が安全になり、作物が豊かに実るでしょう」と告げた。このお告げ以降、昼と夜にそれぞれ神様が出てきて光り輝くようになった。そこで、この場所(月形神社・日形神社)を祭るようになり、その後波風の被害がなくなりました。また、夜に神様の光が現れると、海岸近くの山からうさぎが群れ出てきて神様を拝んだ。そこで、この山を「うさぎ山」と名付けました。

そう、もともと、この神社は八幡宮ではなく、月形神社・日形神社だったという事実。

これは、江戸時代の荒島八幡宮の社伝記に載ってるお話だそうです。

神社の歴史を紐解く中で、その土地の「信仰」の歴史と、神社庁が登録した歴史

という二つの側面を見ることも大事な要素です。

細かく説明すると、長文になるので、ちょっと割愛するけど、

昔の日本人は、山には「山神様」が、川や海には「水神様」がいるというように、

ただ神様を崇め奉っていた。山の頂上に祠や社を建てたり、川のほとりや、海や湖なら

小さな島の中に社を。

といった具合に。

あとは、その土地で生まれた神様も沢山いる。神仏習合っていう信仰もあるしね。

そういう神様を神社庁が管理することになった時に、自分たちの知ってる神様の名前にした

っていう神社も、結構多いんです。

 

この神社は、由来や社伝がはっきりと残っていないから、宇佐八幡宮からの勧請されたというわけではなさそうだし、島根にはかなりの数の八幡宮があるので、ここも八幡様にしてしまったとも言える。

 

この土地に住む人の信仰が根強い神社であることは間違いないし、八幡さんが鎮座されていないわけでも無いと思う。

そこが分からないからただの考察です(笑)

 

「荒神」さまを祀るというのも、土着信仰の顕れで、この荒島八幡宮にも「荒神」さまは

祀られています。

また、詳しくこの荒神」さまについて説明できる機会があればその時に。

 

その土地の守り神として人々の信仰の場だった場所に呼ばれたのは、嬉しい限りですね(*^^*)

この土地の人間って認めてもらえた気分です♪

 

 

 

と。今回はここまで。

初日はここで終了です♪

次回は、二日目・出雲編でお会いしましょう(*^^*)