※理想論なので、堅苦しく真面目です(笑)

※あくまでも、私の私見であることを明記しておきます。

※とても長いお話になります。

 

 

 

 

一昨々日、月曜日の夜のこと。(時間的に20時~21時頃)

外で凄い、泣き声が聞こえてきた。

 

ベランダに出て聞き耳を立てると、どうも子供(男の子)がガン泣きしながら、

何か叫んでいる。

母親らしき女性の怒鳴り声も聞こえる。

子供が親に怒られて、必死に「自分じゃない」「自分は悪くない」って叫んでるような感じ。

 

それが、数分ではなく、ほんと一時間ぐらい続いていたのです。

 

これ、虐待で通報する?(笑)

と、冗談交じりに彼氏に言ってみる。

そうやって、何でもかんでも虐待って通報する人がいるから、

虐待の件数も上がってるんじゃない?(笑)

と。

 

まあ、この声が聞こえてきたのだって、今回が初めてです。

これが毎日続くようなら、さすがに本気で通報するんだけど、

この一回で、通報するのは、ちょっと違うかなと、うちも思う。

 

ここから話が、躾という名の暴力についてという方向に流れました。

 

親が躾として、手をあげることなんて昔はふつうやったのに、今は目くじら立てて

「虐待虐待」っていう風潮ってなあ・・・

いや、今の時代法律で、暴力は虐待と決まったわけやん?(笑)

話しても聞かないから、手が出るって、そもそも感情優先の行為で、それは躾か?

それって、子供のためか?

と聞くと

こどものことを思って。って気持ちが無いとは、言えないんじゃない?

と言われたのです。

 

ここからは、うちの個人としての意見です。

まず、「子供(誰か)のことを思って」という言葉。

これ、子供だけじゃなく、家族や恋人、友達なども含めての話ですが、

これを口にする人が次に発する言葉の多くが「自分はこんなにやってるのに、わかってくれない」

「伝わらない」って、続くんです。

要は、自分の努力が報われていないという不満。

不満を伝える時、自分の思いを伝える時に使う人が多い。

(※あくまでも、うちの体験による持論です。全ての人がそうだとは思ってません)

 

 

誰かのためにって思って行動することって悪いことではないし、間違いではないと思うけど、

それを口にして、自分を認めてもらおうっていうのは、うちの中では、違うんです。

誰かのためにと思って、行動したとしても、本当にそれが相手のためになっているのか

どうかは、相手が決めることです。

報われないからと言って、自分が自分で決めたことを相手が理解してくれないと

不満を述べるために使うのは違います。

逆に伝わってないのなら、相手に伝わるように、自分が手を変え品を変えすべき。

褒めてもらいたい。認めてもらいたいと思って、頑張っているのであれば、

「だれかのため」ではなく「自分のため」の行動だという部分を自覚すること。

 

この言葉、言われた側って

「そう思って行動してくれてるなら、感謝しなきゃね。」

って、思うし、それが続くと、

「的ハズレな努力しかしてないのに、なんでこっちばっかりが感謝しなきゃいけないんだ」

と、不満に変わる(笑)

本当に相手のためを思っているなら、自分の中で処理すればいい。

相手の優しさに甘えて、「自分のやり方」だけを押し付ける言葉にしてはいけないんです。

 

だから、子供の為を思って、「叱る」ことと「怒る」ことを一緒くたにして「躾」というのは間違いです。

叱っても言うことを聞かないから手が出る、手をあげる。

それは、親が成長せず、楽な道を選んでるだけだし、子供からすれば

「痛い思いをしたくないから、黙って従う」というだけで、自分のしたことの何が悪いのかっていうことを教えてることには、なりません。

それにね。躾か、暴力かを判断するのは、された側であってやった側でない。

これ、重要です。

 

確かに、大人になれば、親にされたことに感謝出来ることは、多分にある。

そうした時に、「あれは、躾だったんだ。あの時にそうしてもらったから今の自分がある」と

子供が思えば、暴力も躾になるとおもう。

でも、躾をする親が、自分の暴力を正当化してはいけない。

 

学校で、教師が体罰と称して、暴力を振るうのを昔は躾と言った。

今は、暴力だという。

その暴力を躾と思っていた教師からすれば、「時代が変わった」と思うだろうけど、

そもそも、暴力は暴力であって、それを躾だと子供に自分のやり方を押し付けていただけ。

「言ってもきかないから、殴ってわからせる」って、子供の為を思っての躾ではなく、

自分優先の考え方。

本当に相手の為を思うのならば、「相手に合わせる」という見本になること。

それが、躾の一環です。

 

子供たちに、イジメはダメだ。

教師に、体罰は暴力だ。

と、主張し、子供を守ろうとする親が、なぜ躾と称して自分の暴力を正当化するのか。

やってることは、イジメてる子供たちが「遊んでただけ」と、言い訳してるのと変わらない。

 

と、彼氏に主張したところ、

それは、理想論だなwww

と。(笑)

 

そうなんです(笑)

うちが言ってること、ほとんどが理想論ですよ(笑)

自覚してますw

そりゃそうでしょ(笑)

正論を並べたてただけの、自己満足の範囲も出ていない持論だもの(笑)

 

子育てしながら、仕事もして、家事もして、近所づきあいに学校のママ友付き合い、

学校の役員までやらないといけない状態で、ここまで出来てる人が居るなら

ほんまに凄いわ(笑)

 

だから、うちは子供はいらないんだよ(笑)

うちは確実に自分を正当化する、ダメな親になる自信があるもの(笑)

変われないけど、子供は欲しいなんて、傲慢なことできません。

 

ただ、「だれかのため」って言葉を口にしない、使うにしても

不満を述べるため、理解を求めるためには使わない。

 

だから、普段の家事や晩御飯に対して、「頑張った」とは言わないんだよ。

彼氏の為に晩御飯作りは頑張っている。家事も彼氏が居心地いい空間になるように頑張っている。

うちなりに頑張ってはいるけど、それがイコールで彼氏が満足できてるという自信にはならない。

どちらかと言えば、「この程度のことしか出来てないのに、感謝してもらってもうしわけないな」

としか思わない。

自分なりの頑張りではなく、もう少し自分を成長させる頑張りをすることが

その想いに報いることだと思ってる。

 

「彼氏の為に、もっと成長したい」という想いは、常にあるからね。

まあ、この思いは、うちの中で満足できる状態になることはないんだろうね(笑)

 

 

てなことを語り尽した夜でした。

 

これは、あくまでもうちの理想論です。

違う価値観の人を貶めるつもりはありません。

うちが体験してきたことから感じたこと、そういう人達が多かったという感想の上に

積み上げてきたもの。

これに、当てはまらない人が居ることも知ってます。

 

この正論、理想論は、他人を批判しているものではなく、自分を律するために書いています。

 

長々とお付き合いありがとうございました(*^^*)