こんにちは(*^^*)
今日は、また風邪がぶり返したようで、ちょっと体調が悪いです( ̄▽ ̄)
旅行疲れが出ているんだろうなとも思う。
まあ、ボチボチ、やることはやりましょう(笑)
さて、この週末。
念願だった出雲大社に行ってきました(*^^*)
出雲大社は正式にはいずもおおやしろと読みます。
ここは、大国主命が御際神で、縁結びで有名ですね(*^^*)
この神社は、古事記にある「国譲り」の事情で作られた神社です。
創建は神代の時代。
国譲りというお話は、豊かな国を作ってそこを治める大国主命に対して
天照大神が、
これからは、私の子孫がこの地を治めるから、お前の国を我が子孫に譲れ。
と、なんともワガママなことを言いだし、使者を送るのですが、
大国主命は、それを拒否。
当たり前だと思いますけどね(笑)
自分が頑張って作った国を譲れ都言われて、はいそうですかと言えるわけがない(笑)
そこで、天照大神は、建御雷(タケミカヅチ)を使者として送ります。
大国主命は、息子たちの意見を聞いてくれと、時間稼ぎをしますが
事代主神(コトシロヌシ)は、すんなり国を譲ることを承諾してしまい、もう一人の息子である
建御名方神(タケミナカタ)は、建御雷と戦って敗れてしまいます。
二人の息子が負けたことで、大国主命は天照大神に国を譲ることを
承諾せざるを得なくなる。
そして、天照大神は大国主命に、幽界(あの世)を治める権限を与えた
という内容です
註
この説明には、多分にうちの心情、解釈が盛り込まれています(笑)
で、幽界に行く条件として大国主命が出したのが
「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」
というもの。
これが出雲大社のことです。
遥昔、人々の間では、「雲太。和二。京三。」という数え方がありました
これは、「うんた。わに。きょうさん。」と読み、
「雲太=出雲太郎。和二=東大寺次郎。京三=京都御所三郎」という意味で
建物の大きさの順番です。
平安の時代、日本で一番大きな建物は出雲大社。
その次が東大寺。
三番目が京都御所。
これ、世界的に観ると、とても面白いんです(*^^*)
海外では、その国を治める王様(女王)の住む家が国の中で一番、大きいのが常識。
権力と権威の象徴ですから。
でも、日本は、出雲大社(神様の住む場所)が一番高い建物でした。
神様なんだから、当然では?と思うかもしれないけど、
日本で一番尊いとされる神様は、天照大神なんですよね。
だから、神様だからというなら皇族の祖先神である
天照大神が住まう場所。伊勢神宮が皇居より大きいならわかるんですが(笑)
敵対していたはずの大国主命が住まう場所が日本一高いという不思議(笑)
不思議に思わないのが日本人なのかな?とも思うけど(笑)
実際、そんな高い建物が作れたわけがないというのが
20年前までの通説でしたが、2000年になって、遺構から柱を三つひとまとめにした
痕跡が見つかり、この雲太和二京三が正しいという話にもなっているそう。
この神社は、神話の世界を表現している神社だと思います(*^^*)
そして、ある信仰の始まりの場所と言ってもいいと思うのです。
それは、この神社がなぜ「2礼4拍手1礼」で参拝するのか。という
部分に隠されている(*^^*)
それは、次の記事でお話したいと思います。
※次のお話には、信仰・思想の部分が大きく出ると思いますが、
「個人の見解」であり、信者様や出雲大社の信仰を否定するものではありません。