伊豆山神社/静岡県熱海市 | Goshuinnistの神社巡り

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ご訪問いただきありがとうございます。神社巡りが趣味の大学生です。有名な大社から地元の鎮守さままで、訪れた神社を紹介しています。情報は筆者が参拝した当時のものです。週1~2回、基本的に19:00更新です。

 

基本情報

神社名:伊豆山神社

御祭神:正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊・拷幡千千姫尊・瓊瓊杵尊

社格等:延喜式内社(小社論社)・国幣小社・別表神社

鎮座地:静岡県熱海市伊豆山708-1

最寄駅:熱海駅

駐車場:上駐車場/30台、下駐車場/8台

御朱印受付時間:9時00分~16時00分

公式サイト:https://izusanjinjya.jp/

 

御由緒

 関八州総鎮護伊豆山神社は、かつて伊豆御宮、伊豆大権現、走湯大権現と称され、略して伊豆山、走湯山と呼ばれ親しまれてきた、強運守護、福徳和合、縁結びの神様です。

 祭祀の創まりは遥か上古に遡り、現存する男神像(平安時代中期、日本最大の神像)は、『走湯山縁起』が応神天皇の御代に相模国大磯の海に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたと伝えられる伊豆大神の御神影をあらわしています。

その神威の源は、湧き出づる霊湯「走り湯」です。走湯権現とはこれを神格化した呼び名で、伊豆の国名は湯出づる神である当社の神徳に由来します。

 神威を被るところは、沖合に浮かぶ初島をはじめとする伊豆の島々、伊豆半島、共に二所と呼ばれた箱根や、富士山に及びます。後白河院御撰『梁塵秘抄』に「四方の霊験所」のひとつとうたわれたように、平安時代後期には山岳修験霊場として名を馳せ、顕密神道を学ぶ名高い道場となりました。熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られています。

 平安時代後期、この伊豆山に修行して富士登拝を重ね、富士上人と呼ばれた末代上人は、鳥羽上皇をはじめ貴族と民衆に勧進し、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。伊豆山から富士につながる修行の道は、そののち平治の乱によって伊豆国に配流された源頼朝が、北条政子とともに当社に深い信仰を寄せ、当社の加護のもとで平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立し征夷大将軍となるに至る、いわば東国王権神話とも呼ぶべき歴史の舞台になります。鎌倉将軍の参詣する二所詣の聖地となった当社は、威光を輝かし、格別の尊崇を集め、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬して興隆がはかられました。武家が誓いを立てる時の起請文には、誓詞証明の社として、当社の名が必ず連ねられています。

 そうした神徳を讃え、鎌倉三代将軍源実朝が参詣の途に詠じた和歌は『金槐和歌集』に納められています。平安時代の女流歌人として名高い相模や鎌倉時代の阿仏尼も、参詣して百首和歌を奉納しました。その伝統は、仲秋の名月に熱海市が主催する伊豆山歌会に受け継がれています。

 明治維新の神仏分離令により伊豆山神社と改称されてからも、伊豆大神の神威は絶ゆることなく、大正三年一月十三日には当時皇太子であられた昭和天皇、昭和五十九年九月十二日には当時皇太孫であられた今上天皇が御参拝になられました。

頒布のリーフレットより

 

御朱印

初穂料:300円

 

御朱印帳

黒地に当社に伝わる「赤白二龍」をデザインしたオリジナル御朱印帳を用意。サイズは16cm×11cmと思われ、初穂料は1,500円。

※筆者は拝受していないため、情報のみ記載。

 

境内案内

伊豆山の中腹に鎮座する当社。社頭からは380段の階段を上ることとなる。
 
階段途中には立派な二ノ鳥居が聳える。
 
手水舎の吐水口は当社の伝承に伝わる赤白二龍となっている。
 
参道途中には一対の狛犬。
 
岡崎現代型のだと思われるが、非常に凜々しい顔立ちをしている。
 
朱色の塗られ、極彩色の装飾が大変美しい社殿。
 
本殿の扁額には「伊豆大神」とある。
 
境内左手には頼朝公と北条政子が腰を掛けたと伝えられる腰掛石。
 
その左手には神池が整備されており、鯉が放流されている。
 
境内右手には昭和天皇御手植の松。
 
境内からは相模湾が一望でき、天気がよければ初島や伊豆大島も望むことができる。
 
また、このようにいわゆるSNS映えしそうな一角も。
 
近年は縁結びの神様としても崇敬を集める。
 

参拝を終えて

熱海の温泉街からもほど近い伊豆山に鎮座する古社。「伊豆」の地名との由来ともなり、鎌倉時代には源頼朝と北条政子が揃って参拝した。現在でも市の中心的な神社としての役割を果たすほか、関東一円や遠く伊豆諸島からも崇敬を集める良社である。

 

地図

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