杉田八幡宮 (杉田八幡神社)/神奈川県横浜市 | Goshuinnistの神社巡り

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ご訪問いただきありがとうございます。神社巡りが趣味の大学生です。有名な大社から地元の鎮守さままで、訪れた神社を紹介しています。情報は筆者が参拝した当時のものです。週1~2回、基本的に19:00更新です。

基本情報

神社名:杉田八幡宮 (杉田八幡神社)

御祭神:誉田別尊

社格等:村社

鎮座地:神奈川県横浜市磯子区杉田5-2-1

最寄駅:新杉田駅・杉田駅

駐車場:社頭に4台分あり

御朱印受付時間:8時00分~17時00分

公式サイト:https://sugitahatimangu.jp/

 

御由緒

 後冷泉天皇の御代、1051年(永承6年)源頼義公とその子源義家公が勅を奉じ、奥州に赴き安倍宗任、貞任を討亡し奥州の乱(前九年の役)を鎮め戦勝を祝い、父子相議して康平6年(1063年)8月山城国石清水八幡宮を父源頼義公は相模国に若宮八幡宮(現在の鶴岡八幡宮)を源義家公は武蔵国に杉田八幡宮を鎮祭し源家の武運を祈願した。即ち、杉田町の氏神様である。杉田八幡宮は源義家公(八幡太郎義家)によって創建されました。

頒布のリーフレットより

 

源義家

 源義家は、平安時代後期の武将。源頼義の長男。八幡太郎の通称でも知られる。後に鎌倉幕府を開いた源頼朝や室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先に当たる。
 比叡山等の強訴の頻発に際し、その鎮圧や白河天皇の行幸の護衛に活躍するが、陸奥国守となった時、清原氏の内紛に介入して後三年の役を起こし、朝廷に事後承認を求める。その後約10年間は逼塞状態であったが、白河法皇の意向で院昇殿を許された。
 その活動時期は摂関政治から院政に移り変わる頃であり、政治経済はもとより社会秩序においても大きな転換の時代にあたる。このため歴史学者からは、義家は新興武士勢力の象徴ともみなされ、後三年の役の朝廷の扱いも「白河院の陰謀」「摂関家の陰謀」など様々な臆測がされてきた。生前の極位は正四位下。

Wikipediaより

御朱印

初穂料:300円

 

境内案内

杉田駅や新杉田駅近くの住宅街のなかに鎮座。隣には幼稚園もあり、時折賑やかな声が聞こえる。
 
鳥居を潜り、手水舎の隣には「八幡神社」の社号碑。
 
社号碑の隣には三浦豊壽氏の胸像。
 
階段を上ると一対の狛犬。
 
岡崎現代型のもので、近年奉納されたものだと思われる。
 
拝殿前にも一対の狛犬。
 
こちらは横浜市の地域有形文化財に指定されている。
 
質素な造りながらも彫刻が素晴らしい拝殿。
 
拝殿右手には猿田彦大神の碑。
 
拝殿左手には忠霊碑と稲荷社。
 

参拝を終えて

杉田全域を氏子とする当社。創建が源氏によって平安時代に創建されたということで、源氏がじわじわと幕府創設のために足回りを固めていたことが窺える。当社で頒布されている星柄のお守りが、筆者の贔屓のプロ野球チームである横浜DeNAベイスターズの柄に似ており、何かの縁を感じることができた。

地図

 

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