基本情報
神社名:宇賀神社
御祭神:倉稲魂命・市杵島姫命・大己貴神・天照大神・軻遇突智命・健御名方富命・大山祇神・誉田別命
社格等:郷社
最寄駅:黒姫駅
駐車場:野尻湖観光のための駐車場200台あり
御朱印受付時間:10時30分~15時00分(4月下旬~11月上旬の天候の良い遊覧船の出航時のみ)
公式サイト:https://ugajinja.jp/
御由緒
天平二年(730年・第四十五代聖武天皇)五月、当時の沼尻村の産土神として創建されたようであるが、寛永年中旧飯山城主松平遠江守再建口碑の趣によると、天平年間僧行基当社に参拝し、社殿を造り、御神体を刻み安置し、弁才天女と昌せしより弁才天と誤称したとされており、初め弁才天または宇賀弁才天宇賀神と称し、後に宇賀神社と云う。僧行基が刻み安置せし御神体は今も現存している。
平安、鎌倉、室町を経て、戦国時代に及んで神徳の発揚とともに武家の崇敬すること厚く武運長久を祈る。
越後の上杉謙信もまた崇敬すること厚く、重臣宇佐美定行もまた野尻城主(琵琶島城)となりて本社を崇敬すること厚く、自ら宇佐美を宇佐神と改め、社殿を補修して、太刀一振りを奉納する。後に徳川時代に至り幕府の直轄となる。
慶長年中(1596~1615)、森右近衛太夫忠政飯山藩主となるに及んで本社を崇敬して、武運長久を祈る。以来、歴代飯山藩主の崇敬の場所となり、武運長久の祈願所となる。
寛永五年(1628年、第百九代明正天皇)松平遠江守忠倶、本社を再建し社領十石を寄進し、社紋立葵を給う。また、野尻湖の水を灌漑に利用している高田藩下住民も崇敬すること厚く、藩主松平光長その恩頼に感謝して寛文五年(1665)石灯籠一対を寄進する。なお現在の社殿は慶応二年(1866)に建てられたものとされ、寛永年間の社殿は、現在の本殿の中に残されている。
明治六年四月 郷社に列格
明治四十二年四月 小字にあった社八社を合社し現在にいたる。
頒布のリーフレットより
御朱印
境内案内
参拝を終えて
船以外での参拝は不可能な当社。しかし歴史を紐解いていくとその歴史は古く、さらに詳しく知りたくなった。過去には湖畔から橋が架かっていたようだが、現在は船でのみで参拝できる非常に特徴的な神社である。今回は遊覧船で参拝したが、スワンボートを借りてゆっくりと自力でたどり着くのも乙なものかもしれない。
地図