如法寺
の御朱印








鳥追観音
鳥追観音如法寺は、
仏都会津の祖・徳一大師が、
平安初期大同2年(807)に、
会津の西方浄土として御開創なされた
屈指の観音霊場であります🛕

御本尊鳥追聖観音は、
僧行基御作と伝わり、
衆生を導いてこの世の寿命を全うさせ、
あの世は西方浄土の阿弥陀仏の世界へ
安楽往生させるという御誓願と、
子授け・安産・子育て・厄除け・
健康・長寿の広大無辺なご利益から、
老若男女の厚い信仰を集めている🛕








会津ころり三観音
会津ころり三観音のひとつ、
会津三十三観音番外別格
の結願所として、二世の安楽を願い、
命のふるさと・鳥追観音へ
参る巡礼者が絶えないという🛕

さらに、当地西会津は、
霊峰飯豊山の南麓に位置し、
阿賀川が悠然と流れる
山紫水明の里であり、
如法寺境内には、
樹齢千二百年の高野槙が
孤高に聳え立ち、
春は桜と若葉🌸、
夏は深緑🌳、
秋は紅葉🍁、
冬は雪景色⛄、
と四季折々の趣きもまた格別で、
仏都会津西方浄土鳥追観音如法寺は、
身も心も癒される命のふるさと🛕








扁額








仁王門
江戸時代の慶長18年再建








お釈迦様
甘茶をかけて参拝








🏵花手水🌻








鳥追聖観世音
奈良時代、天平八年(736)の春、
僧行基が会津巡錫の折、
野沢のとある農家に宿されました🏚

僧行基は、子にも恵まれず、
鳥獣害による不作の貧苦で
悲歎に暮れる農夫を憐れみ、
念持仏である一寸八分の
聖観音のご尊像を授けられた🙏

以来、ご霊験まことに著しく、
観音様は自ら鳴子の綱をお引きになり
鳥や獣を追わせられました🐦

故に一家は子宝を授かり、
豊作に恵まれ、幸福な人生を全うし、
やがて観音様の導きにより、
西方浄土・阿弥陀仏の世界に
安楽往生が叶ったので、
衆生は、この観音様を
鳥追観音」と尊称し、
篤い信仰を集めました🐦








観音堂
平安時代の大同2年(807)、徳一大師は、
会津西方浄土の霊場を開かんと
阿賀川の御身が淵を通られた時、
鳥追観音の
「これより南の山に七仏説法の霊場あり
そこへ我を勧請せよ」
とのお告げを頂き、
南の山(現在地)に
金剛山如法寺をご開創なされ、
6月17日、
ご本尊聖観世音菩薩の胎内に
「鳥追観音」を入仏秘され、
ご供養なされたと伝えます🙏

故に、6月の1ヶ月間、
春の例大祭「若葉祭」を開催致し、
ご本尊の特別御開帳を致しております🙏








曜光堂
如法寺が、
会津西方浄土と称されるのは、
鳥追観音の大慈悲により衆生を
導いてこの世の寿命を全うさせ、
やがてあの世は「西方浄土」へ
安楽往生が叶うとのご誓願による🛕

そして、この道理を示す為に、
観音堂は、東西向拝口・三方開き
という独特な構造になっており、
東口から入り、鳥追観音に祈願したら、
戻らずに西口から出ると、
その彼方が「西方浄土」の世界である🛕

また、身代りなで仏(金剛力士像)を
なでで祈願すれば、
ころりと大往生が叶うというので
「ころり観音」とも尊称され、
会津ころり三観音のひとつに数えられる🛕

徳一大師御開創以来、
千二百年の歴史と法燈を今日に伝える、
ご本尊鳥追聖観世音菩薩像をはじめ
諸仏像、仁王門、観音堂などの建造物、
仏具などの美術品に至るまで、
数多くの重要文化財を所蔵し、
更に雪国会津の厳しい
自然の中で生き続ける
樹齢千二百年の高野槙が
孤高に聳え立つ、
会津西方浄土・鳥追観音如法寺
こそ、命のふるさとである🙏








南側








西側
如法寺境内を西方浄土に表現する為に
東西両方に向拝口を設け
東方に配された仁王門から参道を通り
鳥追観音を参拝し
西口にある西方浄土に向って出る
という演出がなされています🛐








会津六詣で








仏都会津西方浄土