弘安寺
の御朱印








延命十句観音経

はさみ紙として頂きました








山門
大きなわらじが納められています🩴








辨天堂
もともと観世音菩薩を祀っていた
厨子として使われていたものを
辨天様を祀り
辨天堂として坐する🛐








弘安2年(1279)に創建されたことから
弘安寺と名づけられました🛕

もともとは十一面観音像を祀った厨子🙏
本尊が文永11年(1274)頃に
鋳造されたことから、
同時期のものと考えられます🧐
17世紀に堂外に弁天堂としておかれ、
これ以降かなり作り変えられましたが、
昭和に保存修理され、
原型に戻された🙏
鎌倉期禅宗様で、
中央の手法による貴重なもので
国重要文化財に指定されています🧐








扁額は『財天
由緒書は『








🛶宝船🛶








弘安寺・弘安寺銅造十一面観音
及び脇侍不動明王・地蔵菩薩立像








本堂
文永11年(1274)に鋳造された観音像🛐
 この像には、悲しい伝説が伝わるという😥

本尊は、千歳桜の伝説となった
長者江川常俊の一人娘・常姫
の死を弔うために作られたと伝わる👂
江川長者には、一人娘の常姫がおり
17歳の若さで亡くなったことから、
供養のため等身大の観音像を
鋳造建立したと伝えられています🛐
鋳造は寺より700mほど西側の奥院
で行われ、完成した観音像を
法用寺へ運ぼうとしたところ、
この地で車が
動かなくなってしまったことから、
観音堂を立て安置し供養した
と伝えられています🛐
十一面観音を本尊として、
地蔵菩薩・不動明王を
脇侍とした珍しい様式で、
国重要文化財に指定されています🧐








中田観音と呼ばれる
会津三十三観音第30番札所
曹洞宗普門山弘安寺
 
医聖・野口英世の母シカが深く信仰し、
息子の火傷治療と立身出世を願い、
毎月17日におこもりをする月詣りを
欠かさなかったという逸話が、
親子の参詣写真と共に残っている📸

会津ころり三観音の一つで、
地域内外から信仰を集め、
観音堂内の「だきつき柱」にだきつき
念願すればそのおもいは成就される
といわれています🛐








大黒天








福禄寿








布袋尊








恵比寿天/賓頭盧尊者








お地蔵様