三芳野神社
の御朱印



御朱印は
氷川神社にて拝受🙏








わらべ唄
『通りゃんせ』発祥の地

三芳野神社は、
川越城の鎮守として寛永元年(1624)、
後の城主酒井忠勝によって
再建されたという⛩️

この天神様は、
わらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地
といわれています😄

川越城内にあったため、
一般の人の参詣はなかなか難しく、
その様子が歌われていると
伝えられています☝️

♪♪通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ♪♪








参道入口








石碑
参道口に在原業平の伊勢物語が
刻まれた石碑がある神社が三芳野神社⛩️

主祭神の素盞嗚尊と奇稲田姫が
大宮の氷川神社から、
配祀の菅原道真が北野天満宮から
勧請されたのではないかと云われ、
平安時代に創建されたという⛩️

 由緒が明確になるのが
室町時代末期の頃からで、
太田道灌が川越城を築城し
三芳野神社を川越の鎮守
としたところから始まり、
江戸時代以降は、
近くの喜多院仙波東照宮と共に
徳川幕府直営の社として庇護を受ける🛐

社殿は、
1624年に拝殿と本殿が建立され、
その約30年後の1656年に
江戸城二の丸東照宮が移築された際、
幣殿と拝殿を現在の川越氷川神社境内に、
本殿をこの三芳野神社に移した⛩️

そして1624年建立の拝殿と
1656年の本殿とを、
新たに造った幣殿でつないだ
権現造りの社殿が現在のもので、
謂わば、
3つのDNAをもった珍しい社殿⛩️

現在、
三芳野神社は川越市指定の史跡で、
静かな佇まいの中で
江戸時代の香りを残しています⛩️








咲き始めてました🌸








鳥居⛩️








由緒書








社殿








蛭子社








蛭子社と大黒社は、拝殿の前方、
参道に向かい合って鎮座する末社で、
拝殿に向かって右に蛭子社、
左に大黒社がある⛩️

両社とも一間社流造、
見世棚造の簡素な建築⛩️

建築年代は、
蛭子社に掲げられている額の背後に
享保19年(1734)の年紀があることから、
その頃造営されたと考えられる⛩️

この社は城の守護社として
幕府に庇護され、
作事方の大工頭や大棟梁が
何代にもわたって最高の技術を凝らして
修造に携わった建築であり、
代表的な近世社寺建築の一つ⛩️








大黒社








蛭子社・大黒社は、
商売繁盛にご利益があるとされ、
地元に愛される神様として、
多くの参拝者が訪れる🛐