成田山川越別院
の御朱印








山門
嘉永6年(1853)開山照温師は、
当時廃寺となっていた本行院に
成田山新勝寺貫首照輪上人が
開眼された
不動明王を安置して再興🛕

明治9年(1876)成田山の末寺となり、
翌10年には管理一切を
成田山に移してより
成田山川越別院本行院
として現在に至る🛕

開創以来百七十有余年の
長きにわたって種々のお願い事の
成就を祈る祈願所として、
そして親しみをこめ
川越のお不動さまとして
近隣のみならず広く御信徒の参拝を
いただいております🛐








大本山成田山川越別院








五鈷杵
(ごこしょ)
法具として大師様が持っているが、
これに触れることで、
煩悩苦悩を打破してくれるという🙏







大師堂 








真言宗の開祖弘法大師、
中興の祖興教大師、
理源大師をお祀りしています🛐








御守り








手水舎








本堂
成田山川越別院本行院は、
江戸時代末に石川照温によって開創🛕
文化二年下総国葛飾郡に
農家の三男として生まれ俗名を留五郎、
仮名を一心といいました☝️

幼少より他国に出て
さまざまな困難に逢うなど
頗る波乱に富んだ生活を送る中、
両眼を失明し前途の希望を失い
自殺を計ること三度に及びましたが
遂に果たされませんでした😌
すなわち、
己を捨てることの出来なかったのは、
神仏の未だ己を
見捨て給わぬためであると固く信じ、
成田山新勝寺において、
断食の行に入りました🍚
この修行で
不思議にも見えなかった両眼は
少しずつ見えるようになり、
遂に満願の頃にはほぼ元通り
平愈することができたのであります👀
そのため不動尊の偉大なる加持力、
また大慈悲に心から感激し、
一生を明王のために
捧げることを誓い、
天保13年に成田山の貫首、
照阿上人を慕って出家得度しました🧐
その時石川照温師は39歳😄
その後、一念を発起し、
照阿上人の許しを得てついに
不動明王の御霊德を鼓吹するため
諸国巡歴の旅に上がりました🚶
そして各地で
徳を慕い集ってくる信徒が増し、
川越の信徒十数名が世話人となり、
当時廃寺になっていた本行院を
再興し不動明王を奉案せしめんと
藩主松平大和守の許可を
得ることができました🧐
 嘉永6年(1853)本行院の復興とともに
成田山貫首照輪上人が
御本尊不動明王のご分霊を開眼し
照温師に授与せられこれが
成田山川越別院の起源となりました🛕
照温49歳の時でありました😁

 成田山本行院
と公称するようになったのは、
明治10年に、
従来の本行院の建物等一切を
本山の管理に移し、
成田山本行院として
成田山最初の別院となりました🛕
これが、全国成田山別院の魁であり、
初代の住職は照輪上人で、
歴代の本山貫首を
兼務住職として迎えております🧐








嘉永6年に廃寺になっていた
川越久保町本行院を再興し、
御本尊不動明王が安置されました🛐
明治6年に本堂が建立され、
昭和8年に現本堂が再建されました🛕