川越八幡宮
の御朱印








御朱印はさみ紙
こういった趣向をしてくれるのは
嬉しいですね🕊
御朱印は直書きして頂きました😊
また、仙波東照宮も兼務しているので、
一緒に書いて頂きました🙏








参道入口








社号標








⛩️一の鳥居⛩️








社号碑








⛩️二の鳥居⛩️








🌻花手水🏵








拝殿








由緒書








川越八幡宮の創建当時このあたりは、
豪族河越氏の所領で鎌倉時代、
神社後方に河越氏の館があった🏯

応永32年(1425)には、
関東管領足利持氏河越兵庫助
の館跡地の半分を当神社に日供料として
寄進したといわれています😄
長禄元年(1457)、
川越城が完成しました🏯

築城の名手だった太田道灌は
当神社を篤く崇敬し、分霊を
川越城内の守護神として奉斎しました。
爾来、川越の歴代城主、
城代の崇敬が深く、
特に天正18年(1590)以来の
城主酒井氏一族の崇敬はすこぶる篤く、
社殿の造営、神田、
神宝の寄進が相次ぎました⛩️
酒井氏は国替後も崇敬を加え、
しばしば改築費、
修繕費等を奉納しました。

文化9年7月1日(1812)、
姫路城主・酒井雅楽頭源朝臣忠衛は
御神号「河越八幡宮」(文字は向鳩形)
の額と掛物一幅を奉納しました。

寛永2年(1625)には、
徳川家光公が日光社参の折、
酒井備後守忠利が道中安泰の祈願をし、
その功により
葵紋付祭器具の寄進がありました。



太田道灌公と歴代川越城主の崇敬
川越八幡宮は、
第68代後一条天皇時代の長元3年(1030)
に甲斐守源頼信によって
創祀されたと伝えられています🧐

長元元年(1028)、
下総国の城主前上総介平忠常は
朝廷に謀反を企て、
安房、上総、下総の3カ国を従わせ、
大軍を起こして
武蔵国に攻め入りました⚔
この乱は長元の乱と言われ、
3年に渡り鎮圧できませんでした🤨
有力武士だった冷泉院判官代甲斐守源頼信
が長元3年に平忠常追討の倫旨を
賜りました😌



御神号「河越八幡宮」の額
明治維新、
そして現代へ 明治維新の際には、
別当万蔵寺を廃しましたが、
川越城主の地の人々は当社を
川越の守護神として崇敬しています。
昭和51年秋に、
当社は埼玉県にて一社、
神社本庁第一次神社振興対策モデル神社
に指定されました。
創建から約1000年、
今も変わらず当社は篤い崇敬を受け、
関東一円より多くの皆様から
ご参拝をいただいております🛐








🍑厄除桃🍑








こころの小径








🌲再会の木🌳








目の神様








民部稲荷神社








川内優輝選手の足形記念石








2023年夏に川内優輝選手の足形をとり、
モニュメントとして設置されたという👣








現状打破








🌳夫婦銀杏🌳








川越八幡宮
もう一方の参道入口