天王寺
の御朱印








駐車場に境内案内図あり〼








寺号標








山門
山門は切妻、桟瓦葺き、三間一戸、四脚門、
香積山の山号額が掲げられています🛕

天王寺の寺宝には「什物」や「経筒」、
「三筋壺」などがあり、
特に陶製経筒は承安元年(1171)
の銘があるもので大変貴重な事から
昭和11年(1936)に
国指定重要文化財に指定されています🛕








手水舎🚰








地蔵菩薩
木がくり抜かれた中に座している🛐








日本四天王寺の一寺🛕








本堂
用明2年(587)の開山🛕
天王寺観音として親しまれている。
境内には奥州三十三観音第十一番札所
信達三十三観音第十一番札所があり、
裏山から発見された「陶製経筒」が
国指定重要文化財に指定されている🛕








香積山天王寺は
福島県福島市飯坂町天王寺に境内を
構えている臨済宗妙心寺派の寺院🛕

 この天王寺は
大阪(難波)谷中富国の天王寺とともに
日本四天王寺の一寺といわれ、
第31代用明天皇の開基と伝えられる🛕

用明2年(587)厩戸皇子(聖徳太子)が
物部守屋を討たれ
佛法眞密即ち佛の道を修める道場
の1つとして建立された🛕

当初は、天皇山天王寺と呼ばれ
毘沙門天(北方多聞天)と
千手観音・地蔵菩薩を
安置したのが始まりという🛕

平安時代文治5年(1190)
源頼朝の平泉攻めで
大鳥城落城の時共に兵火により焼失🛕

その後、法燈国師が
当地を巡錫で訪れた際に再興、
さらに、室町時代初期の応安7年(1375)、
智鑑禅師により境内には
七堂伽藍の堂宇が再建されています🛕

中世以降、飯坂城の城主を歴任した
飯坂氏が篤く庇護し、
特に天正3年(1576)には
飯坂宗康と春翁正堂和尚が中興し
堂宇などを再建し
宗康の菩提寺となっています🛕








天王寺の現在の堂宇は
江戸時代中期の元禄年間(1688〜1703)
に火事で焼失した後の
宝永7年(1710)に再建された古建築で、
木造平屋建て、寄棟、鉄板葺き、平入、
桁行7間、正面1間向拝付き、
外壁は真壁造り白漆喰仕上げ🛕








観音堂
観音堂は木造平屋建て、寄棟、鉄板葺き、
平入、桁行3間、正面1間向拝付き、
外壁は真壁造り板張り🛕








三済閣








鐘楼








奥州三十三観音霊場十一番札所








子育地蔵尊








延寿観世音菩薩











羽黒神社参道入口
羽黒神社で御朱印を頂けるのは、
元旦と毎年2月に開催される暁まいり
の時だけだという事です⛩️








仁王門跡








名月の碑








拝殿
羽黒神社には、毎年2月10日、11日に
開催される信夫三山暁参りで
日本一の大わらじが奉納されます👣

今では縁結びの神として知られ、
3年続けて暁参りにお参りすると
恋が結ばれるとか😍

信夫山から福島市内の夜景をバックに
プロポーズすると結ばれる、
という言い伝えもあるようです😆








扁額
羽黒神社は昔、
羽黒大権現という神仏混淆の神社でした⛩️

しかし、日本は神国であるとして、
明治2年の神仏分離令により、
神社と定められ、
立派な仁王門が取り払われてしまう👹

羽黒神社の創始は、不明だという⛩️

聖徳太子のいた推古天皇の時代
羽黒大権現みちのくに現れる
(628年)とあり、
天安時代、慈覚大師が古刹薬王寺
を開く(857年)以前には、
もう山頂にあったことになる⛩️








本殿
明治11年の福島県神社明細帳では、
ご祭神は沼中倉太玉敷命、
つまり30代敏達天皇
ということになっていますから、
黒沼神社由緒の石姫皇后の息子、
ということになります🛐

昔の羽黒神社は立派な大社殿で、
高さ15メートルもあり、総ヒノキ造り、
東西北には、ヒノキの一枚板に
見事な彫刻が施されていたという⛩️

保原の長谷川雲橋・雲谷親子
が彫ったという⛩️

しかし、昭和51年に焼け落ちてしまい、
朱色のコンクリート造りになっている⛩️








わらじ
高さ12mの大わらじ👣








奉納されたわらじ








一ノ宮明神








山王宮








三宝荒神