大聖寺
の御朱印








明王山大聖寺








奥州三十三観音霊場十三番札所
桑折町内にて、
皇室献上品の桃の産地が近くにあり、
あちこちに桃のノボリが立っていました🍑








瑜祇殿
瑜祇殿の扁額が掲げられている本堂🛕
建立年代は明らかではありませんが、
明和2年(1765)に大修理が施されたとの
記録が残っています🛕

御本尊の阿弥陀如来が安置され、
本堂入口には瑜祇殿の扁額が掲げられている🛕
草創の寺歴については明らかでないが、
文化2年(1805)の大聖寺由緒書には、
常西寺観音の別当寺で、
寛永元年(1624)に宥甚法印が再興し、
後に保原の長谷寺の末寺となったという🛕








地蔵堂








観音堂
本堂に向かって左側の石段を上ると
観音堂があります🛕
大聖寺の寺歴は不明のようですが、
文化2年(1805)の大聖寺由緒書には
常西寺観音(現大聖寺観音堂)の別当寺で、
寛永元年(1624)に再興されたという🛕








 観音堂は常西寺観音と称し、
聖観世音菩薩を本尊としています🛕
かつては補陀山常西寺と号し、
独立した寺院だったようです🛕

こちらの寺歴についても不明だが、
一説には、名取老女旭がこの地に草堂を結び、
弘法大師空海作の白檀の
聖観世音菩薩を本尊とし、
その後、藤原秀衡
再興したと伝えられています🛕








二間半(4.5m)四面の観音堂は、
昭和59年に大改修が施されたが、
仁安年間(1166~1168)の建立という🛕

本尊の聖観世音菩薩は、
像高60㎝ほどの座像で、
作者、年代ともに不明、
現在は厨子に納められている🛕

空海作と伝わる補陀山常西寺時代の本尊
である白檀の聖観世音菩薩は、
現在は頭部のみが残って伝えられており、
33年に1度の御開帳とされています🛐
前回は平成29年(2017)の御開帳だったため、
次回は2050年の御開帳🛐








鐘楼








石碑群








記念碑








御詠歌









🛕大聖寺から車で10分ほどの距離に
位置する高子岡城跡に立ち寄りました🏯


高子岡城跡
伊達氏発祥の地伊達市
初代伊達朝宗が築いた伊達氏初の城跡🏯








伊達朝宗








高子岡城跡








伊達氏の発祥の地
伊達氏の始祖朝宗(中村常陸入道念西)は、
文治5年(1189年)、
源頼朝の奥州合戦で大いに戦功があり、
伊達郡を賜りました。
そして性を伊達と改めて、
当地に城舘を構え
居城したと伝えられています。
朝宗は桑折町の
満勝寺(万正寺)に葬られている🛕








伊達家歴代当主








亀岡八幡宮
山頂には鎮護の神として
亀岡八幡宮を祀ったといわれ、
白い鳥居の先に八幡神社が鎮座している⛩️








参道








拝殿
伊達氏発祥の地
戦国時代、独眼竜政宗として
天下にその名を轟かせた
伊達政宗のルーツが、
ここ伊達市保原町高子地区🧐

奥州征伐が行われた文治5年(1189)、
源頼朝に従軍した常陸国の中村一族は
この戦いでの功績として頼朝公より
伊達郡を賜りま した。
それを機に氏を「伊達」と
称することとなりました。
これが伊達氏の始まりです。

伊達氏初代朝宗は高子岡舘に城館を構え、
鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したそうです。
今も残る小高 い山に鎮座する
亀岡八幡神社は、
春に咲き誇る桃の花から始まる、
伊達の郷の四季をゆったりと見下ろせる🍑








社額








高子岡伊達家城跡