梅渓寺
の御朱印








阿像








吽像








お地蔵様








梅渓寺がある牧山は、
かつては魔鬼山といい、
蝦夷の大嶽丸一党の本拠地だった🛕

坂上田村麻呂は蝦夷征討の際、
この山に攻め入って一党を滅ぼし、
そこに一宇を建立、
陣中の守り本尊であった
龍乗聖観世音菩薩
を本尊として安置した🛕
 
本尊を安置後、魔鬼山寺と号し、
戦死者の供養と国家鎮護、
五穀豊穣、海上安全を
祈願したのが始まりと伝わります。

延鎮僧都を開山として護持させたといわれ、
延鎮僧都魔鬼山寺旧跡
と刻んだ石碑が残っています🛕








その後、弘仁7年(816)に田村麻呂は、
現在の梅渓寺の前身である梅谷寺
号する天台宗寺院を創設し、
魔鬼山寺の別当寺とするとともに、
魔鬼山を「牧山」に改めた🛕
(牧山の名の由来は諸説ありますが、
ここでは梅渓寺の縁起に依っています)

開山から約500年後、
梅谷寺は廃寺の危機に瀕しますが、
奥州曹洞宗総本山正法寺二世良印禅師の
法弟無尽天全禅師が再興に努め、
曹洞宗に改宗し、自ら中興開山となり、
両峰山梅渓寺となりました🛕

梅渓寺は現在に至るまで
台風や山火事などの数々の災難に
見舞われてきましたが、その度に
住職の尽力で復興を果たしてきました🛕

梅渓寺までは、
富山観音同様細い山道を
通っていきます🚶

途中に延喜式内名神大社である
零羊崎神社があるので
参拝おすすめします🛐








供養塔
江戸時代には零羊崎神社が
八番札所の観音堂とされていましたが、
明治の神仏分離令の際、
急遽本尊を梅渓寺へ遷座したそうです🛕

零羊崎神社の前を通り少し行くと
梅渓寺に着きます🚙

御朱印は庫裏にて頂けます。
御不在時には庫裏の前の箱に入っている
書置きの御朱印を、朱印代を入れて拝受🙏
今回はご在宅だったので
直書きしていただけました🛐








本堂
牧山の中腹にある曹洞宗の寺院、
当初は梅谷寺と称する天台宗だったが、
貞治2年(1363)、
無盡天全が曹洞宗に改宗開山し、
寺号を梅渓寺に改める🛕

無盡天全は大梅拈華山正法寺
(岩手県奥州市水沢区黒石町)
2世月泉印の法嗣で、
当地域の曹洞宗布教に尽力しています🛕

一方、牧山には延長5年(927)に編纂された
延喜式神名帳に格式の高い
名神大社として記載されていた
零羊崎神社が鎮座し、
延暦17年(798)に延鎮により創建された
魔鬼山寺が境内を構えていました🛕

当時、魔鬼山(牧山)には
蝦夷の頭領の1人大嶽丸が巣食い
周辺に悪事を働いていた事から
征夷大将軍に任命された
坂上田村麻呂が当地まで侵攻し、
苦戦の末、大嶽丸の妻(又は妾)
である魔鬼女を討ち取り、
その菩提を魔鬼山寺に葬り、
祟りを恐れて観世音菩薩(牧山観音)を
勧請し安置しました🛕

その後、零羊崎神社は小祠となり、
魔鬼山寺は牧山寺、
長禅寺と寺号を改称し、
田村麻呂が勧請した観世音菩薩は
富山観音(宮城県松島町)、
箟峯観音(宮城県涌谷町)
共に奥州三観音に数えられ、
奥州33観音霊場の第8番札所にも
選定され信仰を広げました🛕

しかし、明治初頭に発令された
神仏分離令により長禅寺は廃寺となり、
堂宇は零羊崎神社の社殿、
僧侶は零羊崎神社の神官に還俗し、
長禅寺の仏像や仏具は
同じ牧山に境内を構えていた梅渓寺に
遷され奥州三十三観音霊場第八番札所も
梅渓寺が引き継ぎました🛕

奥州三十三観音霊場第8番札所

札所本尊
聖観世音菩薩

御詠歌
頼めただ 湊の船に 法の道
大慈のみたね ここに牧山

奥州七観音(牧山観音)

宗派
曹洞宗

本尊
聖観世音菩薩