![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230504/06/goshuin-ranjatai/4c/b3/j/o0720108015279218373.jpg?caw=800)
呑香稲荷神社
(とんこういなりじんじゃ)
の御朱印
この珍しい名前はアイヌ語で
「かがやける丘」を意味し、
九戸城の松ノ丸跡にあります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230504/06/goshuin-ranjatai/3e/6d/j/o0810108015279218381.jpg?caw=800)
社号標
延暦20年(801年)に
出羽国(現在の山形県)の
大物忌神社を勧請し
浄法寺村稲庭岳に祀ったのが
始まりと言われています⛩️
貞元親王(清和天皇の第三皇子)の
孫にあたる源重之の母親が託宣により
宮野(福岡の旧名)の里に遷座し
稲荷大神と称えていましたが、
九戸政実と豊臣軍の戦いがあり、
戦乱を避けていったん津軽に遷座しました⛩️
宮野落城により、
別城である松の丸を修理増築して
26代南部信直公が移られ
宮野は福岡と改められた⛩️
稲荷大神は、
二戸郡漆沢村に御遷幸となりました⛩️
27代利直公の時、
秋田城之介の家臣であった
小保内源左衛門が主家没落のため
今の盛岡市仙北町で
南部家に仕えていましたが、
もともとの南部家臣たちから後ろ指を
されるのに憤慨し北に向かいました🚶
二戸郡漆沢村に至った際、
その夜に霊夢がありました👹
稲荷大神より宮野の地に祭るよう
信託をうけた源左衛門は、
翌朝福岡城下に赴き、
三日町(現在の五日町)が清浄の地として
ふさわしいと考え、一祠を建立しました⛩️
そして、天和2年(1682年)2月3日の夜に
遷座となりました⛩️
そのころ、
南部氏の幼君が疱瘡を病みましたが、
幼君は枕元に白髪白衣の老人がありて
我を看護せり、
この老人は稲荷大神なり決して
心配すべからずと話しそれから
南部氏の稲荷大神への崇敬が
いよいよ厚くなりました⛩️
境内には、
九戸政実を祀った九戸政実神社、
相馬大作を祀った相馬大作神社も
鎮座しています⛩️
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230504/06/goshuin-ranjatai/ad/3b/j/o1080081015279218393.jpg?caw=800)
小高い丘に鬱蒼と樹木が所在🌲