正覚院
の御朱印








御堂観世音








参道入口








北上川源泉地

本堂右奥に所在⛲
北上川の源として古くから知られている。

天喜5年(1057年)、前九年の役のころ、
源頼義、源義家父子がこの地を
平定するために軍勢を進めていたところ、
飲料水がなく、兵馬が苦しみ始めた🐎

そこで天に拝して観音菩薩に念じながら、
義家が持参の弓の「弓弭」で
岩を突いたところ、清水が湧き出て、
兵馬が喉を潤すことができたと伝わる⛲

その後、康平5年(1062年)、
義家は無事に敵将安倍貞任を討ち、
その帰りにここに堂を建立し、
自分の頭髪の中に入れて戦ったという
小さな観音像をここに安置したという🛐

これが御堂観音の由来とされている。

その際寄進したという陣中釜は
今も寺にあり、本堂の千手観音像は
南部氏がこの地を領した際に
守り本尊として護持し、現在に及ぶ。

泉は、北上川源泉地として、
古来涸れることなく、北上川に注ぎ、
人々から崇められてきたといわれている⛲








新奥の細道








奥州三十三観音霊場三十二番札所








ちょっと風変わりな狛犬








門の下に手水舎🚰








御詠歌








拝殿

俗に御堂観音と称される🛕
ここ「天台宗北上山新通法寺正覚院」は、
大同2年6月坂上田村麻呂将軍が
祈願所として建立されたといわれ、
その一族である僧了慶がひらいた
と伝えられています。

宝暦8年(1758)堂が焼失すると、
ときの南部藩主利雄公が
宝暦13年復元をしたとされています。

現在の堂は昭和43年に焼失し、
同45年再興のものです。

本堂の千手観音像は
南部氏がここを領地にした際、
守り本尊として当院に寄進し、
今日に及んでいます。

境内には北上川の源泉弓弭の泉がある⛲








社額








明治天皇が訪れた地








末社








忠魂碑








北上山水神🚰








記念碑
岩手町と石巻市を北上川が結ぶ








弓弭の泉








北上川の源泉








現在は源泉保持する為に立入禁止








神域ですね🚰








狛犬








いわてまち  川の駅








公園として整備されています🏞








北上川の長さ249km








岩手町から石巻市まで🏞
旧北上川は岩手町から北上町まで🏞








気持ちのいい場所です🏞