大慈寺
の御朱印








法輪山大慈寺寺号標








大慈寺参道入口🚶








山門
一三五〇坪の境内には
山門、本堂庫裡、鐘楼堂、
秋葉大権現堂が配置されていますが、
数度の火災にあい、
開創以来の建物は山門だけだという。
昭和四十七年十月十七日
町の文化財として指定を受けています。








奥州三十三観音霊場十四番札所








山門前の小僧🙏









本堂

法輪山大慈寺と称し、
永享元年(一四二九年)、
岩手県奥州市にある
大梅拈華山圓通正法寺四世中山良用大和尚
により曹洞宗として開創🛕 

前身は天台宗諏訪森大慈寺と称し
藤原秀衡による創建と伝わり、
奥州三十三観音十四番札所とされている🛕








寺号額
 
山号  法輪山
寺号  大慈寺
 
宗派  曹洞宗

大本山  永平寺(福井県)    總持寺(神奈川県)

本尊   釈迦牟尼仏








鐘楼








経王塔経塚
経文を一文字ずつ書いた小石を埋納し、
五層の石塔を建てたもの。








西行生誕八百年記念歌碑
西行法師が諸国行脚中当寺を
詠まれた歌が伝えられています。
西行法師生誕八百年を記念して、
昭和五十八年三月境内に
歌碑が建立されました。 

頼母しや大慈の法の誓には
玉のうてなに花の白雲








秋葉山大権現








ユネスコ無形文化遺産となった
火伏の行事「米川の水かぶり」は、
当寺の境内に鎮座する秋葉山大権現を
本尊としており、
毎年二月の初午の日の催行日は、
秋葉山大権現の祈祷から行事が開始される🛐








米川の水かぶり

火伏せの奇祭米川の水かぶり発祥の地
寺の境内に鎮座する
秋葉大権現を本尊とする
米川の水かぶりの火伏の行事がある🛐
この行事の起源は記録がなく
定かではないようだが、
十二世紀後半、藤原秀衡
天台宗諏訪森大慈寺を創建した時より
毎年二月の初午の日
修行僧の行として
始まったものだという🛐 
修行僧は行場で水ごおりを取り身を清め、
裸になった全身に藁装束をまとい、
顔にかまどのススを塗り、
秋葉大権現に参詣し神の使いと化し、
町に繰り出し町の火防を祈願しる🛐
町では家々に用意された水を
屋根にかけながら走り抜ける🚰
人々は男達から藁を抜き取り
屋根に上げ火伏せのお守りとします🛐
当寺のお膝元である五日町の若い人も
厄払いを兼ねこれに加わり、
現在まで一年も休むことなく
受け継がれています。
この行事は五日町の人達のみで
行うものと言い伝えられ、
受け継がれております。
藁装束の一団とは別に、
鐘を叩く墨染めの衣の火男面と
天秤に手桶を担ぐ女装の
おかめの面の二人組が家々を回ります。
この行事は発祥以来一年もかかさず
行われて来たことが認められ、
文化財の指定を受けています🧐