榴岡天満宮
の御朱印








菅原道真公5才の時の詩
自分が5才だった時は・・・🤔








参道入口の大鳥居⛩️

仙台の桜の名所として有名な
榴ヶ岡に鎮座する榴岡天満宮は、 
平安時代の天延2年(974)に
山城国(現在の京都府)に御創建された🌸 
その後、平将春が陸奥国宇多郡(現在の福島県)に
勧請し、 次に宮城県柴田郡に御遷座、
 天文20年(1551)に小俵玉手崎に
3度目の御遷座が行われた⛩️ 

後に、
藩祖伊達政宗公が仙台城を造営するとき、
当宮の社木を用財として切り取った為、 
その報賽に慶長16年(1611)に
新たに丹塗りの御社殿を造営したが、 
慶安3年(1650)徳川幕府の命令による
仙台東照宮建立に際し、その境内地東側に
御遷座された⛩️
 
そして、寛文7年(1667)7月25日に
三代藩主伊達綱宗公の意思により、
丹塗りの社殿・唐門を新たに造営し、
菅原道真公の真筆が奉納され、
現在の鎮座地である榴ヶ岡に遷座し、
杜の都の天神さまとして
現在も広く崇敬されている。
御社殿は総欅造り、
照星閣とも呼ばれ、 
明治9年(1876)の明治天皇御巡幸の際に、
明治天皇が御参拝された御宮である。








撫で牛

御祭神・菅原道真公は、
承和12年(845)に誕生されましたが、
この年は乙丑(きのとうし)でありました。 
また、延喜3年にお亡くなりになりましたが、
轜車を
「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」
との遺言で、その場を墓所と定め、
その場所が都府楼の
北東(丑寅)の方であったなど、
多くの牛との関わりや伝承があり、
天神さまには牛がつきものとなり、
「神使(かみのみつかわしめ)」
としてのつながりを持つようになり、
撫で牛は御祭神とご参拝の方々をつなぐ
大切な役割を果たしています。








今では珍しくなくなりましたが、
こういうのあると助かりますよね😄








唐門

榴岡天満宮は、
二代藩主伊達忠宗による東照宮造営の際に、
その地にあった天神社を移したものであり、
四代藩主綱村が、
元禄8年(1695)釈迦堂を造営する際に、
本殿・拝殿等を整備したものである⛩️
現在は、唐門だけが当時の姿
を留めているとされる。
榴岡天満宮唐門は、一間一戸の向唐門で、
屋根は銅板葺であり、長い鳥衾に特徴がある。
円柱で、桟唐戸を吊り、
全体が朱塗されている。
蟇股の彫刻の意匠には江戸中期頃の、
礎盤や柱の粽などに禅宗様の
様式的特徴が示されている。