鹿島神宮
の御朱印








奥宮
の御朱印








御祭神
武甕槌大神

神代の昔、天照大御神の命を受けて
香取神宮の御祭神である経津主大神と共に
出雲国に天降り、大国主命と話し合って
国護りの交渉を成就し、
日本の建国に挺身した。

鹿島神宮の創建は
初代神武天皇の御代と伝わります。

神武天皇はその御東征の半ばにおいて
思わぬ窮地に陥れられましたが、
武甕槌大神の韴霊剣の神威により救われ、
この神恩に感謝された天皇は御即位の年、
皇紀元年に大神をこの地に勅祭されました。

皇紀元年、すなわち紀元前660年の頃
といわれています。








新年最初に本殿の御扉を開けるのに合わせて
馬を曳き廻した祭りが今に伝わる🐴

「年のはじめに白馬を見れば
年中の邪気が祓われる」
という故事により、
神職の打ち鳴らす賑やかな笏拍子と
神楽太鼓の音と共に
御神馬が境内を疾走します🐴

宮中行事の白馬の節会が
鎌倉幕府の四代将軍藤原頼経
によって鹿島神宮にもたらされました。








社号標と大鳥居⛩️

東日本大震災により倒壊した
御影石の鳥居に替わり、
境内に自生する杉の巨木を用いた
同寸法の鳥居が
平成26年6月1日に再建された⛩️

鹿島神宮は、
日本建国・武道の神様である
武甕槌大神を御祭神とする、
神武天皇元年創建の由緒ある神社⛩️








稲荷社🦊

御祭神
保食神

楼門くぐるとすぐにある稲荷社🦊

末社摂社が数多くあり〼








楼門

日本三大楼門の一つに数えられる楼門は、
高さ約13m、重要文化財に指定されています。

寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主頼房卿
により奉納されました。

『鹿嶋社楼門再興次第記』によれば、
三代将軍家光公の病気平癒を
頼房卿が大宮司則広に依頼し、
家光公が快方に向かった為に
奉納されたとあり、
浅草の水戸藩下屋敷で
130余人の大工が切組み、
船筏で運んで組み立てました。

昭和15年の大修理の際丹塗りとし、
昭和40年代に
檜皮葺の屋根を銅板葺にしました。








拝殿

本殿・石の間・幣殿・拝殿の
四棟からなる社殿は、
元和5年(1619)、徳川二代将軍秀忠公
が寄進したもので、
重要文化財に指定されています。 

本殿は参道から見て一番奥にある
三間社流造の建物で、
御祭神の武甕槌大神をお祀りしています。 

拝殿は手前に見える建物で、
正式参拝や結婚式の際に
お上がりいただくことができます。

鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」は、
神代の昔、天照大御神の命を
受けて香取神宮の御祭神である
経津主大神と共に出雲の国に天降り、
大国主命と話し合って
国譲りの交渉を成就し、
日本の建国に挺身されました。 

鹿島神宮御創建の歴史は
初代神武天皇の御代
にさかのぼります。

神武天皇はその御東征の半ばにおいて
思わぬ窮地に陥られましたが、
武甕槌大神の「韴霊剣」の神威に
より救われました。

この神恩に感謝された天皇は御即位の年、
皇紀元年に大神をこの地に
勅祭されたと伝えられています。

その後、古くは東国遠征の拠点として
重要な祭祀が行われ、
やがて奈良、平安の頃には国の
守護神として篤く信仰される
ようになり、また奉幣使が頻繁に
派遣されました。

さらに、20年に一度社殿を
建て替える造営遷宮も
行われました。

そして中世~近世になると、
源頼朝、徳川家康など武将の尊崇を集め、
武神として仰がれる
ようになります。 

現在の社殿は徳川二代将軍の秀忠により、
また奥宮は徳川家康、
楼門は水戸初代藩主徳川頼房により
奉納されたもので、
いずれも重要文化財に指定されています。 

鹿島神宮の例祭は
毎年9月1日に行われますが、
うち6年に一度は
天皇陛下の御使である勅使が
派遣される勅祭となり、
さらにそのうち2回に1回、
すなわち12年に一度の午年には、
水上の一大祭典である
御船祭も斎行されます。








仮殿

元和4年(1618)、社殿造営のため
徳川2代将軍秀忠公が奉納しました。

まずこの仮殿に神様をお遷ししてから、
旧本殿を奥宮まで曳いていき、
その跡地に新しい社殿を造営したのです。 

江戸時代は楼門を入った真正面にあり、
その後2回の移動で現在の場所となりました。








境内案内

奥宮/要石/御手洗/鹿園/樹叢








鹿島七不思議








奥参道

奥宮に向かって300m程伸びる奥参道は
鬱蒼とした巨木に覆われ、
荘厳な雰囲気を醸し出しています。 

5月1日には流鏑馬神事が執り行われます🐎








さざれ石

日本国民なら御存知😄








鹿園🦌

国譲り神話において、
鹿の神である天迦久神が、
天照大御神の命を武甕槌大神に伝える
重要な役割を担ったことから、
現在でも鹿が神の使いとして
大切にされています🦌








また、奈良に春日大社を創建する際も、
鹿島の神様の御分霊を鹿の背中に
乗せてお遷ししたと伝わり、
その道中には江戸川区「鹿骨」など
鹿に関する地名が今も残っています🦌








奥宮

現在の社殿は、
慶長10年(1605)に徳川家康が
関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に
本宮として奉納したものを、
その14年後に新たな社殿を建てるにあたり
この位置に遷してきたものです。








地中のナマズを押さえつけてくれている
タケミカヅチの石像

奥宮から要石へむかう参道の途中にあります。

昔から自然災害が多かった日本では、
暮らしの安全を守ってくれる神様を
頼りにしてきました。

剣の神様でもある
鹿島神宮のタケミカヅチは、
その腕っぷしの強さから、
地震が起こらないように
地中のナマズを押さえつけてくれています。








要石

地中深くまで埋まる要石が、
地震を起こす鯰の頭を抑えていると
古くから伝えられています。

水戸の徳川光圀公が
どこまで深く埋まっているか
確かめようと7日7晩にわたって
掘らせたものの、
いつまで経っても辿り着くことが
できなかったばかりか、
怪我人が続出したために掘ることを諦めた、
という話が黄門仁徳録に記されています。








御手洗池 

1日に40万リットル以上の湧水があり、
水底が一面見渡せるほど澄みわたった池です。

昔は参拝する前にここで禊をしました。

現在では、年始に200人もの人々が
大寒禊を行います。








参道近くに鹿像

流石、鹿島🦌
アントラーズファンも必見ですね⚽








靇神社

鹿島神宮の境内手前に鎮座⛩️



御祭神
高靇神、闇靇神という龍神🐲

鹿島神宮の水を守り、火を防ぐ神です。

御手洗池に二社、楼門の前後に四社、
参道の両側に二社の八龍神と
伝えられていますが
参道の二社が合祀されて
この靇神社一社となり、
明治以降は当町の鎮守の社となっています。 



御神徳 
昔の消防ポンプを龍吐水というように、
龍神は火伏の神とあがめられ、
谷間を守る神でもあり、
家内安全、商売繁盛、子育て、
子供の守り神と伝えられいます。








塚原卜伝生誕之地

鹿島神宮駅のすぐ目の前に銅像と共にあり〼

塚原ト伝は、今から約500年前の、
戦国時代の剣豪です。

応仁の乱・文明の乱(1467~1477)という
大きな内乱から22年ばかり
過ぎた延徳元年(1489)2月に、
常陸国鹿島に生まれた。

父祖伝来の鹿島神流に加え、
天真正伝香取神道流を修めて、
鹿島新當流を開いた。








鹿島神宮駅🚉

鹿島神宮への玄関口🚃
歩いて10分ほどで鹿島神宮⛩🚶