慈恩寺
弥勒尊
の御朱印


本堂・宮殿内には
秘仏本尊の弥勒菩薩像および四尊像、
文殊菩薩像とその眷属像、
普賢菩薩像とその眷属像と、
さらに如来三尊像、菩薩坐像、二天像、
軍荼利明王像、力士立像が
安置されているのだそうだ。

弥勒菩薩像と四尊像は、
慈恩寺が鎌倉末期に焼失したのちの
再興本尊であるという。








慈恩寺
大聖不動明王
の御朱印








慈恩寺
医王尊
の御朱印








本堂

神亀1年(724年)
僧行基(ぎょうき)慈恩寺を景勝であるのを見て
京に帰り、聖武天皇に奏上🙏 

天平18年(746年)聖武天皇の勅命で
インドの婆羅門僧正が開山🗻

平成26年度には、
約446千m²(東京ドーム約10個分)と
非常に広大な慈恩寺旧境内一帯が
国史跡に指定された。








大聖不動明王堂








薬師堂

参拝者多くて正面から撮影出来ず😅








慈恩宗の本山

山号は瑞宝山
宗教法人としては本山慈恩寺

行基によって見い出され、
聖武天皇の勅によって創建したとされる🛕

その後、鳥羽天皇の勅で再建され、
後白河法皇と源頼朝によって
山号を与えられた。

平安時代は荘園主である藤原摂関家から、
鎌倉時代から室町時代にかけては
地頭・寒河江大江氏の庇護を受け、
寒河江大江氏が滅ぶと
最上氏や江戸幕府によって寺領を認められた。 

江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、
院坊の数は3ヵ院48坊に達した。
現在は3ヵ院17坊を伝える。

修験による祈願寺として御朱印地を
拝領していたため檀家を持たず、
明治の上知令により一山は
困窮して帰農する坊が続出した。

本尊は弥勒菩薩で、
脇侍として地蔵菩薩釈迦如来
不動明王降三世明王を配する
日本国内でも珍しい五尊形式である。

創建当初は八幡大菩薩を
鎮守神として祭っていたが、
時代の変化とともに法相宗、真言宗、
天台宗を取り入れ、
現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院として
慈恩宗を称する。 

境内地は周囲の中世城館群や
行場などとともに
2014年10月に国の史跡に指定された。








鐘楼🔔








三重塔
慶長5年(1600年)、
山形城主最上義光は関ヶ原の戦いに際して、
慈恩寺に対して「立願状」を
出して戦勝を祈願した。

江戸時代に入った慶長11年(1607年)に
最上義光が三重塔を築造し、
慶長16年(1611年)には
慈恩寺領の指出検地を行った。

『最上義光分限帳』によれば
2889石だったという。








寒河江の水

十二神将立像がプリントされていました👹