上杉家墓所
の御朱印
寛文4年(1664)に四代藩主綱勝公が
世継ぎのないまま急死してしまい、
上杉家断絶の危機を迎えましたが、
綱勝公の奥方の父、保科正之公の尽力により
綱勝公の妹婿である吉良義央公の長子、
綱憲公が跡継ぎとなった。
その結果、15万石に減封されましたが
家名は存続となる。
上杉家は会津120万石の八分の一になり、
九代藩主重定公の時代には
藩財政は破綻寸前の状況だったそうです。
現在の米沢の礎、この窮乏の藩財政改革を
見事に成し遂げたのは
十代藩主上杉鷹山公です。
鷹山公は質素倹約、学問の奨励、
殖産興業に率先垂範で取り組み、
必死の覚悟で一生をかけて藩復興に当たった。
明治維新後、米澤藩上杉家は華族に列し、
伯爵位に叙された。
米澤上杉家の十七代現当主である
上杉邦憲氏は宇宙工学博士で
宇宙航空研究開発機構(JAXA)の
名誉教授だそうです🚀🛰🛸