盛岡八幡宮
の御朱印








御由緒

康平五年(1062年)前九年の役に際し、
陸奥鎮守府将軍源頼義・義家父子が、
奥州安倍一族(貞任・宗任)平定のため、
山城国男山八幡大神を、
不来方の丘陵の地(現盛岡城跡公園)に御勧請、
必勝武運を祈願したのが創祀と伝えられ、
後世鳩森八幡社と奉称した。
その後は、諸氏諸々を経て、
寛文十一年(1671年)
現在地に新八幡宮造営の工を起し、
延宝八年(1680年)完成し、
翌年八月十四日より三日間盛大な
新八幡宮鎮祭の重儀が行われた。








盛岡八幡宮の西側の大鳥居⛩️

駐車場も広くスペースあります🚙








拝殿

盛岡八幡宮は延宝八年(1680年)、
第二十九代南部重信公により建立された⛩️
御祭神は、品陀和気命(第十五代応神天皇)で、
農業、工業、商業、学問、衣食住など
人間生活の根源の神として、
昔から地域の人々の崇敬を集めてきました。
明治十七年(1884年)の盛岡大火などの災害や
永年の風雪被害を受けて
社殿は再建が繰り返され、
現在の社殿は平成九年十二月に
新八幡宮として建て直されたそう⛩️ 
色あざやかな彫刻の施された
朱塗りの大社殿が、
新しい盛岡の顔として
堂々たる風格を漂わせています。
県下一の大社として、
また人々の生活に根ざした信仰や
祝い事の拠りどころとして、
現在も年間を通して
多くの参拝者で賑わっています。
盛岡八幡宮の正面階段を登ると
拝殿が見えます🛐
拝殿の正面には扉があり、
誰でも、いつでも参拝できるようにと、
24時間扉が閉められることはないとのこと⛩️
拝殿の中では、
各種恒例祭や神前祈祷が
厳かに執り行われます。 
拝殿の内外には、
岩手県の「県花」である桐の花の彫刻が
華麗な装飾が随所にほどこされています。
正面扉の上には旧拝殿から引き継がれた
「八幡宮」の額があります。








八幡宮の社号額

大国主命こと大国さんと、
事代主命こと恵比寿さん
が鎮座してます⬇








大国さんと恵比寿さん

大国さんは、
大きな福袋を肩にかけて、
人々に幸福を運び、
農耕の神・縁結びの神さまとして
庶民に親しまれています。
日本の国ができるときに
貢献した神さまの中で
一番尊い神さまとして敬われています。

恵比寿さんは、
右手に釣り竿、左手に大鯛を抱えている。
日本国が創られるとき、
「日本国は天孫に
献上なさるのがよいでしょう」
と大国主命に決断させた功績によって
一言主神と言われる神さまだそうです。
また、海の事に従事されたところから、
豊漁の守護神・海の守り神として尊ばれ、
さらに海と陸との交流をもたらした
商売繁盛の神さまと慕われています。








十二支神社

十二支の生まれ年ごとに
ひとつずつ守り神があるという。
土着的な民間信仰が元になっています。
子年生まれは出雲神社、
寅年生まれは八坂神社、
亥年生まれは鳩森八幡神社と、
十二支の動物が仕える神を祭る神社が、
12社並んでいます。
1年に1回、自分の生まれ年の神を拝むと
よい御加護があると言われています🛐








自分の干支を参拝👏🐯








神棚のまつり方も丁寧に展示してありました。
勉強になります。ありがたいです😊








その年の運勢表は、一年の指針のひとつ😄








笠森稲荷神社

八幡宮が建立される前から八幡山の山頂に
祀られていた、境内で最も古い神社⛩️
現在の社殿は昭和32(1957)年に建立されました。
五穀豊穣や商売繁盛の守り神であり、
新しく商売をはじめる人も
よくお参りに来るそうです。








神明社
(お伊勢さん)

祀られている神様は天照大神です。
延暦の昔、坂上田村麻呂が
盛岡の仁王に建てたのがはじまりです。
元禄時代には煙草丁(現在の明神町)に、
その後八幡山にと移されました。
明治17年(1884年)盛岡の大火により
焼失しましたが、昭和43年(1968年)
明治維新100年を記念して
現在の地に祀られた。
自光坊の先祖が伊勢にご神体をうけて、
盛岡の仁王に祀った
という話が伝えられていたり、
神様を移すときには
5尺(約150cm)くらいの柱を
霊代にして、自光坊自ら背負っていった
との言い伝えも残されていますが、
本当のことはよく分かりません。
藩政のころ神明社所属のことで、
自光坊と鈴木神職との間で
争いが生じました。
自光坊が訴訟に勝ち、
それから自光坊の力によって
神明社が発展してきたそうです。








梅宮

安産や子孫繁栄の守り神「梅宮」
祀られている神さまは
酒解神(さかとけのかみ)⛩️
酒解子神(さかとけこのかみ)⛩️
大若子神(おおわくごのかみ)⛩️
小若子神(こわくごのかみ)⛩️

寛保元年(1741年)、
南部23代利視公が人々の子孫繁栄を願って
京都梅宮大社の御分霊を祭りました。
安産、婦人、醸造の守護神として
歴代の藩主から庶民にまで
深く信仰を集めてきました。
旧藩時代、
笠森稲荷神社の近くにありましたが、
明治時代の盛岡の大火によって
焼失してしまいました。
それから、その神さまは
八幡宮本殿に安置されていました。
信仰が厚かった人たちが
本殿の建築費を寄進し、
大正3年、社殿を現在の地に
再建することができました。








神輿殿

立派な神輿が納められています。










岩手護國神社
の御朱印








御由緒

当神社は、明治天皇の思し召しにより、
明治新成の夜明け勤王の大儀を固守し、
国事に殉ぜられた郷土の勤王の志士、
目時隆之進命・中島源蔵命
の二柱の御霊を祀る為、
明治二年十一月二日
岩手郡東中野村茶畑の地に
時の盛岡藩知事南部利恭により
創建されました⛩️
その後、国の為に尊い命を捧げた方
三万五千七百余柱がお祀りされている🛐
昭和天皇皇后両陛下は、
昭和四五年の国体の際に、
御奉納、御親拝されたとのことです。








拝殿

岩手護国神社は
岩手県盛岡市八幡町に鎮座している神社⛩️
岩手護国神社の創建は
明治2年(1869年)に
盛岡藩15代の最後の藩主であり、
県知事であった南部利恭によって
勧請されました。

当初は岩手郡東茶野畑に鎮座していたが
明治39年(1906年)に
盛岡八幡宮境内に遷座⛩️
昭和14年(1939年)に「岩手護国神社
と名称を変えた。

全国の護国神社と同様に戊辰戦争を始め、
日清戦争、日露戦争、
第一次世界大戦、第二次世界大戦などの
戦没者約35800柱を祀っています🛐
又、岩手護国神社は多くの社宝を所有し、
中でも短刀(銘:道暁「中嶋源蔵所用」)1口、
短刀(銘:(表)浪花月山 
源貞一造(裏)慶應年仲夏)1口、
短刀(銘:兼房)1口が
昭和57年(1982年)に盛岡市指定有形文化財
(工芸品)に指定されています。








盛岡八幡宮、岩手護國神社が
並んで鎮座してます⛩️
空気感が違い、
ずっといたいと思う場所のひとつです。
写真掲載した以上に末社もあり、
広い境内には茶屋などもありました。
また訪れたいです😊👏