![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/06/goshuin-ranjatai/cf/01/j/o0633108015022384874.jpg?caw=800)
盛岡八幡宮
の御朱印
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/06/goshuin-ranjatai/40/a3/j/o0762108015022384877.jpg?caw=800)
御由緒
康平五年(1062年)前九年の役に際し、
陸奥鎮守府将軍源頼義・義家父子が、
奥州安倍一族(貞任・宗任)平定のため、
山城国男山八幡大神を、
不来方の丘陵の地(現盛岡城跡公園)に御勧請、
必勝武運を祈願したのが創祀と伝えられ、
後世鳩森八幡社と奉称した。
その後は、諸氏諸々を経て、
寛文十一年(1671年)
現在地に新八幡宮造営の工を起し、
延宝八年(1680年)完成し、
翌年八月十四日より三日間盛大な
新八幡宮鎮祭の重儀が行われた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/13/goshuin-ranjatai/42/7d/j/o1080060715022515868.jpg?caw=800)
盛岡八幡宮の西側の大鳥居⛩️
駐車場も広くスペースあります🚙
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/13/goshuin-ranjatai/b8/b8/j/o1080060715022515879.jpg?caw=800)
拝殿
盛岡八幡宮は延宝八年(1680年)、
第二十九代南部重信公により建立された⛩️
御祭神は、品陀和気命(第十五代応神天皇)で、
農業、工業、商業、学問、衣食住など
人間生活の根源の神として、
昔から地域の人々の崇敬を集めてきました。
明治十七年(1884年)の盛岡大火などの災害や
永年の風雪被害を受けて
社殿は再建が繰り返され、
現在の社殿は平成九年十二月に
新八幡宮として建て直されたそう⛩️
色あざやかな彫刻の施された
朱塗りの大社殿が、
新しい盛岡の顔として
堂々たる風格を漂わせています。
県下一の大社として、
また人々の生活に根ざした信仰や
祝い事の拠りどころとして、
現在も年間を通して
多くの参拝者で賑わっています。
盛岡八幡宮の正面階段を登ると
拝殿が見えます🛐
拝殿の正面には扉があり、
誰でも、いつでも参拝できるようにと、
24時間扉が閉められることはないとのこと⛩️
拝殿の中では、
各種恒例祭や神前祈祷が
厳かに執り行われます。
拝殿の内外には、
岩手県の「県花」である桐の花の彫刻が
華麗な装飾が随所にほどこされています。
正面扉の上には旧拝殿から引き継がれた
「八幡宮」の額があります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/13/goshuin-ranjatai/7b/1d/j/o1080060715022515892.jpg?caw=800)
八幡宮の社号額
大国主命こと大国さんと、
事代主命こと恵比寿さん
が鎮座してます⬇
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/13/goshuin-ranjatai/0e/09/j/o1080060715022515905.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/13/goshuin-ranjatai/da/86/j/o1080060715022515946.jpg?caw=800)
笠森稲荷神社
八幡宮が建立される前から八幡山の山頂に
祀られていた、境内で最も古い神社⛩️
現在の社殿は昭和32(1957)年に建立されました。
五穀豊穣や商売繁盛の守り神であり、
新しく商売をはじめる人も
よくお参りに来るそうです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/13/goshuin-ranjatai/73/a7/j/o1080060715022515956.jpg?caw=800)
神明社
(お伊勢さん)
祀られている神様は天照大神です。
延暦の昔、坂上田村麻呂が
盛岡の仁王に建てたのがはじまりです。
元禄時代には煙草丁(現在の明神町)に、
その後八幡山にと移されました。
明治17年(1884年)盛岡の大火により
焼失しましたが、昭和43年(1968年)
明治維新100年を記念して
現在の地に祀られた。
自光坊の先祖が伊勢にご神体をうけて、
盛岡の仁王に祀った
という話が伝えられていたり、
神様を移すときには
5尺(約150cm)くらいの柱を
霊代にして、自光坊自ら背負っていった
との言い伝えも残されていますが、
本当のことはよく分かりません。
藩政のころ神明社所属のことで、
自光坊と鈴木神職との間で
争いが生じました。
自光坊が訴訟に勝ち、
それから自光坊の力によって
神明社が発展してきたそうです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/13/goshuin-ranjatai/e5/11/j/o1080060715022515972.jpg?caw=800)
梅宮
安産や子孫繁栄の守り神「梅宮」
祀られている神さまは
酒解神(さかとけのかみ)⛩️
酒解子神(さかとけこのかみ)⛩️
大若子神(おおわくごのかみ)⛩️
小若子神(こわくごのかみ)⛩️
寛保元年(1741年)、
南部23代利視公が人々の子孫繁栄を願って
京都梅宮大社の御分霊を祭りました。
安産、婦人、醸造の守護神として
歴代の藩主から庶民にまで
深く信仰を集めてきました。
旧藩時代、
笠森稲荷神社の近くにありましたが、
明治時代の盛岡の大火によって
焼失してしまいました。
それから、その神さまは
八幡宮本殿に安置されていました。
信仰が厚かった人たちが
本殿の建築費を寄進し、
大正3年、社殿を現在の地に
再建することができました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/13/goshuin-ranjatai/16/ec/j/o1080060715022515987.jpg?caw=800)
神輿殿
立派な神輿が納められています。
当神社は、明治天皇の思し召しにより、
明治新成の夜明け勤王の大儀を固守し、
国事に殉ぜられた郷土の勤王の志士、
目時隆之進命・中島源蔵命
の二柱の御霊を祀る為、
明治二年十一月二日
岩手郡東中野村茶畑の地に
時の盛岡藩知事南部利恭により
創建されました⛩️
その後、国の為に尊い命を捧げた方
三万五千七百余柱がお祀りされている🛐
昭和天皇皇后両陛下は、
昭和四五年の国体の際に、
御奉納、御親拝されたとのことです。
岩手護国神社は
岩手県盛岡市八幡町に鎮座している神社⛩️
岩手護国神社の創建は
明治2年(1869年)に
盛岡藩15代の最後の藩主であり、
県知事であった南部利恭によって
勧請されました。
当初は岩手郡東茶野畑に鎮座していたが
明治39年(1906年)に
盛岡八幡宮境内に遷座⛩️
昭和14年(1939年)に「岩手護国神社」
と名称を変えた。
全国の護国神社と同様に戊辰戦争を始め、
日清戦争、日露戦争、
第一次世界大戦、第二次世界大戦などの
戦没者約35800柱を祀っています🛐
又、岩手護国神社は多くの社宝を所有し、
中でも短刀(銘:道暁「中嶋源蔵所用」)1口、
短刀(銘:(表)浪花月山
源貞一造(裏)慶應年仲夏)1口、
短刀(銘:兼房)1口が
昭和57年(1982年)に盛岡市指定有形文化財
(工芸品)に指定されています。
盛岡八幡宮、岩手護國神社が
並んで鎮座してます⛩️
空気感が違い、
ずっといたいと思う場所のひとつです。
写真掲載した以上に末社もあり、
広い境内には茶屋などもありました。
また訪れたいです😊👏