津島神社
の御朱印








津島神社の社号看板








鳥居の朱色が鮮やか⛩️
左手に手水舎あります🚰

御由緒
天正19年(1591)豊臣秀吉の日本統一に
最後の抵抗をした葛西大崎両氏は
市民連合して大一揆を起こし
佐沼城に篭城しました🏯
秀吉の命で伊達政宗はこれを包囲したものの
沼川深田である佐沼水域の難攻不落に万策尽き、
津島神社(北方鎮座、現在は津島本宮社と改称)
に祈願したところ、忽然と白鷺の群れが飛来し、
沼の浅瀬に降り立ちました。
深沼ではないことを知った政宗は
篭城軍を一気に攻め、
城を落とすことに到りました。
後の慶長19年(1614)政宗は
領主津田民部景康に城の鎮護を命じ、
津島神社を城下である現在地に遷座し、
佐沼城において今後謀反なきものとするため
社殿は佐沼城に向かって北向きに建立し、
沼郷の総鎮守祇園牛頭天王と称し祭りました。
人々から「ごてんのうさん」と崇め祭られ、
今もこの呼び名で親しみをよせられ
崇敬されています。








おもかる石

一、石灯籠の前で願いごとを祈念する
一、石灯籠の空輪(頭)を両手で持ち上げる
一、石の重さが、自分が予想していたよりも、軽けれ    ば願い叶う、重ければ願い叶わず








御縁石

一、御縁石に祈念する願意を縁結び・縁切りより一つに定める

縁結び
一、石灯籠の前で縁結びを祈念する
一、石灯籠の空輪(頭)を両手で持ち上げる
一、石の重さが、自分が予想していたよりも、軽ければ良縁遠し、重ければ良縁近し

縁切り
一、石灯籠の前で縁切りを祈念する
一、石灯籠の空輪(頭)を両手で持ち上げる
一、石の重さが、自分が予想していたよりも、軽ければ悪縁立ち切る、重ければ悪縁とどまる








縁結びの木と結舎

明治45年の大火で焼失した津島神社随神門跡、
この場所は神様の縁結びの力が強すぎたことから、
五種類の古木が一ヵ所の地面から生い立ち、
互いに寄り添うように聳えています。
そのさまが「縁結びの木」と言われる由縁🌳
この御神木に絵馬を結んで
霊威をあやかったことから、
絵馬を結ぶ社の「結舎」が建立された⛩️
絵馬を奉納する際には、
結舎の門口から中にお進みいただきましたら
木の周りを、時計回りに3回、
回ってから奉納するのが作法となっている🛐








拝殿

御祭神
神武速素盞鳴尊(たけはやすさのおのみこと)

ご神徳
厄除け、縁結び、疫病除け、海上安全 


須佐之男命は天照大神(あまてらすおおみかみ)
の弟神で、伊邪那岐神(いざまぎのみこと)が
鼻を洗った時に生まれ、
海を統治することを命ぜられたが、
父の命には従わず泣哭するばかりで
政をしようとはしなかった。
そのため伊邪那岐神は怒り、
根の国に追放を命じた。
命は根の国に下るに際し、
姉の天照大神に別れを告げるため
高天原(たかまがはら)に詣るが、
天照大神は、性が激しい命がどうして
高天原に上ってくるのか警戒するので、
命は決して邪険な気持ちはないと
天照大神に誓約し、
伊邪那岐神許しを得て高天原に
しばらく住む事となったが、
生来の暴政が出て乱暴な行為を繰り返した為、
天照大神は天岩戸(あめのいわと)に隠れた。
高天原の神々は天安河(あまのやすかわ)で
会議を開き、命に罪を祓わせたのち追放の刑に処した。命は旅を続けて出雲国に至り、
そこで八岐大蛇(やまたのおろち)を屠り、
その尾から出た天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
を天照大神に献上し、八岐大蛇を屠った縁で
稲田姫(いなだひめ)を娶り
出雲に住むこととなった。








竹駒神社・道祖神








おみくじ運勢表
こういうのあるとわかりやすいですよね😊
いつも吉と中吉と小吉と末吉の
順番って迷いますもんね😅








結果は吉でした😁
結構良い運勢書いてありました😆