足利織姫神社を後にして
織姫山を降りてきた場所にあります

足利市3代目棟梁であった
足利義氏公によって
鎌倉時代の建長元年(1249年)に開創されました。


義氏の父・義兼公は足利源氏の祖、八幡太郎義家より5代目の棟梁。
母は北条時政の娘・時子で、
源頼朝の妻・政子の妹です。

義氏は、和田合戦や承久の乱など重要な局面において活躍し、次第に幕府の重鎮(宿老)としての地位を得、足利氏の基盤を固めていきました。

61歳で法楽寺を建て、
66歳で逝去しました。


義氏の戒名は
「法楽寺殿正義大禅門」です

御朱印は


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