忌部神社さまの続きです照れ


そして、

忌部古墳へ行きたかったのだけど笑い泣き

私がこのお山に入らせて

いただいたのは、

この稚宮神社さまだったと思っています。

あの黒岩磐座遺跡も、

真立石も

すごいのですが、

私はここ、

稚宮神社さまに

来たのだと勝手に妄想しているくらい笑い泣き


なのでタイトルも

その3だけど

「稚宮神社」さま出しましたおねがい

真立石から、

道が別れていて、

忌部古墳は左側、

私が先に行きたいと思ったのは

稚宮神社さまおねがい

なんとなく笑い泣き

まあ、古墳を最後にキラキラ

短絡的な感覚でしたけど笑い泣き


で、すぐだと思うやん笑い泣き

まあ、すぐかも知れませんけど、

知らない山道、ひとりって

まあまあ距離感じますからね笑い泣き

歩きます笑い泣き

歩きます笑い泣き

この曲がり角の先に見えなかったら、

引き返そう。


ないガーン


でも、行きたい。

じゃ、次の曲がり角まで


ないガーン


もう帰りますよもやもや

とやっぱり神さまにボヤキながら

歩く。


歩くのか

歩かされてるのか

分からんし笑い泣き

とか、

ひとりで妄想の世界の

ひとりごと笑い泣き

だって、

黒岩磐座まででも

それ繰り返してますから笑い泣き


で行き着けたお社がこちら。



言葉になりませんでした。
そして、私は
来ては行けなかったのかな
とも。
でも奉斎されていたから、
氣持ちを変えることが出来ました。

本当にこの日に
行かせていただいて
ありがとうございました。

ひとりでも
誰かにこのお社を
知っていただきたい、
知っていただかなきゃ
と思いながら
帰ってきました。

私もまた来ますキラキラ
と思って振り返って1枚おねがい

稚宮神社さまとはおねがい

抜粋させていただきます。



若宮神社(稚宮神社) 

~忌部神社の七摂社の一つ~

●場 所 - 吉野川市山川町忌部山字峯石

●祭 神 - 思兼尊・長白羽命(天太玉命前座手力雄命) 

山崎忌部神社の七摂社の一つに数えられる「若宮神社」(稚宮神社)は、『山川町史』によると思兼尊(おもひかねのみこと)と長白羽命(ながしらはのみこと)を祭神とする神社である。

明治8年(1875年)に教部大輔 穴尸茂に提出された忌部神社末社摂社の記録に摂社として稚宮神社があり、祭神は長白羽命と思兼命とある。

『安房齋部系図』によると長白羽命(天白羽鳥命)は、天日鷲命の子にあたり、

阿波忌部族の移動に伴って

太平洋岸を中心に各地に祀られ、

伊勢の麻績氏の祖神となった。

なお、『忌部神社正蹟考』「正蹟ノ遺蹟遺物的考察」には、「忌部神社」の八摂社が記され、

「阿波両国神社録所載の忌部神社の八摂社があり、稚宮社は峯石に在り。」とある。

『忌部神社正蹟考』の「山崎ノ史蹟ト傳説」には、永享2年(1430年)11月日附の阿波領国神社録という旧記に忌部神社の摂社に八社が書かれ、その中に稚宮社があり、

「俗に若宮神社と書き給ふ。当村峯石に在る阿淡両国神社録には祭神天太玉命前座手力雄命(あめのふとだまのみことぜんざたじからおのみこと)」として祭神を違えている。

しかし、この手力雄命は、阿波忌部に所縁深き神であった。『大日本神名辞書』によると、

「天日鷲命は天太玉命に隷属せる神にして天孫降臨の時木綿作りとして従い降り給ふ天手力男命の御子にして~」とある天日鷲命の父神であった。 「若宮神社」へ行くには、聖天寺から忌部山古墳群への山道を進むと道が二手に分かれる。そこを、右方向(南方面)へ進む。途中、「馬頭観音」の石碑があり、それを目印とし、険しい山道を10分程登れば辿りつくことができる。

高架鉄塔を目印にすると分かりやすいだろう。


と。


上矢印山崎忌部神社さまで
撮ってたお七社詣りのお社の1つだと
氣づいたのはこの山崎忌部神社さまへ
戻ってからでした。

諏訪大社さまでも七社詣りされること
教えていただいてました。
順番も決まっていて、
最後に「組長」にご挨拶されるとか。
なんか繋がるなあと思っています。

神権体制祭政一致の古代においては
王位に就く為には神との統合が必要。
王位継承の儀式「祭祀の礼」は
王族と神官のみが知り得る極秘事項
として伝承   文章化しない
朝廷での祭祀の支度は忌部氏の役目
麁服が欠かせない皇位継承秘儀 大嘗祭
麁服は祭祀終了後、焼くか土に埋める
反物も焼く(この反物を
天皇陛下の慈悲のこころがない者が
使えばその結果は
分かる氣がします)
阿波国忌部氏の麁服が無いと半帝と言われる
阿波国忌部氏の麁服以外だと
忌部所作代と必ず表示をして
大嘗祭で使用する
阿波国御衣御殿人契約状がある
乾燥大麻茎の発酵用に使われる箱は
麻舟と云われる
麁服の漢字は
古語が阿良多倍で、
他に麁布、荒妙、荒布、麁妙服、麁服
と時代によって変わってきて
宮内省感状では麁の旧字は鹿を
3つ重ねた字で麁服となっています。

忌部氏が
忌部の契約状と呼ばれるもので、
結束を固め、
共存と調和の精神
フロンティアの精神
自給自足の精神をもって、
「忌部氏」という氏族を守ってきたのは
この国を守るには
麁服がどれだけ大切なものかを
ご存知だから。
そして、これは忌部氏だから
保たれてきたことです。
代わりは出来ない。

それ程、麻には霊力が宿るのだと思います。
宿るからこそ、
どこまでも清浄な精神が
必要なのだと。
その精神に私利私欲など、わたくしごとが
入ったら
シラス国として日本を治める
天皇陛下が威霊を体得するために
お祀りする神御衣の麁服の
清浄さが
曇るのだと思います。
だからこそ忌部氏(斎部氏)であり
忌部氏が
穢れを忌み清める氏族なのだと思います。

麻を川で何度も何度も水にさらす
その工程こそが禊ぎ祓いなのだと。

そして
神道で言われることも同じ。
日々の穢れを祓い清めることで
己の持つ清浄さに直していくのです。

禊ぎ祓え
と言葉では分かるし、
言葉にすれば
祓われていると思ってきましたが、
川で麻を何度も何度も
さらし、清めるように
白に近づけるように
そうして
イメージしたとき、
私の心に残るのは
あの麻の黄金の色なのかもしれないなあ
と思いました。

私の世界は自分でイメージ出来る 

だけど、
今も忌部氏が
守り繋いでくださっているもの、
守り繋いでくださっていること。

そこを支えるには
知ることからしか
始まらないと思います。

忌部神社さまだけでは
ここまで思わなかった。
稚宮神社さまのお社の現状を見て
私は知りたいし
知っていただきたいと
思ったのです。

忌部氏しか出来ないこと
なのだとしたら、
忌部氏を支えることは
その周りにいる方にしか
出来ない。

ここまで知ってようやく
少しですが、寄付しました。
でも今の思いののせたお金を
いつか使って頂けることが嬉しいです。
奉斎されてる方が
このお社を目の前に
神さまに申し訳ないと
思われてないはずがない。

どうかどなたかのこころに
届きますように

教えてくださる方々に
出会わせていただいてることに
感謝しています。
ありがとうございます。