桃尾の滝と石上神社さま照れ

歴史も苦手だし、
知らないし、
だけど、ポチポチして調べました。
書き留めるだけなら、ノートにでいいんだけど、
もし、
教えていただける方が
いらっしゃるなら、
教えていただきたいので、
中途半端でもあげようと笑い泣き

では、お付き合いくださいませニコニコ






石上神宮さまの元社とされています。

昔、この川で洗濯をしていた娘がいました。
そこに一ふりの剣がながれてきて、
布が切れるかと思われたが、
不思議とその布の中で留まった。
こんなことは、
神のなさることと、神宮に奉納したのが、
石上神宮の御神体の剣です。
その剣の留まったところがまさしく、
ここ、と。


ご祭神 石上大神さま(十束剣、布都御魂)




桃尾の滝を神として祀る立地とみることも
出来ます。

桃尾はモモオと読みますが、
元々モノオであって、
物部の聖地であっても不思議ではない滝の名

石上は、石神のことで、
大和民族と先住民が
それぞれの居住地に標識として立てた
塞の神にも繋がり、
伝承は白蛇、建御名方神(出雲建雄神社)と
多岐に及びます。

石上布都魂神社(岡山)はスサノオを
祭神とする。
スサノオが八岐大蛇を斬ったときの
剣である布都御魂(十握剣)は、
崇神天皇の時代に大和国の
石上神社へ遷したとされます。
桃尾山には草薙の剣を持った
八岐大蛇が剣となって降臨したとの
伝承があります。
八岐大蛇は、八頭八尾ですから、
頭尾で桃尾(とうび)の地名に繋がる。
桃尾の滝は、
頭尾の滝で、
八頭八尾の八岐大蛇のことでは。

廃仏派の物部守屋が
蘇我氏に滅ぼされて以来、
物部の聖地にも仏教勢力が入り込みます。

石上神宮の天敵、
藤原不比等と密接な関係がある忍壁皇子が、
おそらくは、
物部氏の弱体化を図るために
諸家の宝物返還の任を引き受けたのだと。
「諸家の宝物」を所蔵している
ということは、かつて、
物部が王だった時の証しだったのか。

「桓武天皇が病気になって、
怪異が次々と起こった」というのは、
藤原氏と忍壁皇子の
強引な「占領政策」に対して
物部一族が、
呪詛やその他の反乱を
起こしたのではないか

恩義ある桓武天皇(のおかげで唐に
渡っています)を
困らせる石上神宮の呪術に対し、
空海は、
この地を真言密教の一大道場と
したのかもしれない。

日本後紀には、
桓武天皇が病気になり、
怪異が次々と起こったとき、
使者を石上神宮に、派遣し、
女巫に命じて、
布留御魂を鎮魂するために
呼び出したところ、
女巫が一晩中怒り狂った。
このため、
天皇の歳と同じ数の69人の
僧侶を集めて
読経をさせ、神宝を元に戻した
とあります。

衰えたといえど、
物部は死んだ人を生き返らせ、
強大な龍蛇を退治できる秘宝を
もちます。

大和朝廷以前からある物部の
古い古い「龍蛇の呪術ライン」を
空海が断ち切ったのかと推測されています。

長滝の九頭神社
国津(クズとも読めます)神社
龍王神社(長滝)
都祁水分神社
の東西ライン

「ふる」とは隕石の古語だそうです
記紀にある
「布留の御魂」は
隕鉄を精錬した剣で
「布津の御魂」は
砂鉄を精錬した剣

物部は石上に改姓した?
石上は、坩堝の達人を指すそうです。

昔から隕石が落ちたところには
椋(むく)の木を植えたそうです。

福岡県鞍手郡に古物神社があります。
こちらも物部氏の祭司をする場。
布留御魂神さま。



ずれていきそうなのでこの辺でグラサン

「呪」ってずっと怖いイメージしか
なかったのですが、
呪る(かしる)、呪ふ(まじなふ)
って、
神仏の神秘的なものの威力を
借りて福を得たり、
災いや病気を除いたり、
災いをおこしたりするようにする
という意味もあるのですね。




古代からの長いときの中で、
いろんなものが
その時代の渦にのまれていったのだと
思いますが、
物部一族が、
祭司をしたこの土地と、
その神さまの威力は
そのままここに在るのだなあと思います。
人の手で、
やっぱりこのお社が守られていくと
いいなあと思います。

これからおいでおいでって
してくださったところで、
いろんなことが知れるといいなあと
思います。


読んでくださって有り難うございましたおねがい
出来れば教えてくださいませ~爆笑

コメント欄で教えてくださる方がキラキラキラキラキラキラ
ぜひ、コメント欄見てください。
私はえ~、そこからびっくりびっくり笑い泣きでしたから。
私が、そこを理解出来るには
まだまだ知らなくては笑い泣き
これからも、もっと、
神さまに会いに行って
教えていただこうと思います照れ

Aさん、またより一層、すぐにでも、
大和に行きたくなりました。
有り難うございましたキラキラ