一流伝授は

その一流の古文書を伝えて

後の世に

伝えることですが


今の若いお坊さんは

興味がないのだそうです


平安時代には

この流派は華々しく


公請に招かれて

大内裏で国家の祈祷を

念じているのですが


高野山は東寺の末寺

と書かれていて


京都の門跡寺院や

巨刹とは別の

末席の片隅に

時折名を残すのみです


宮中で行われていた

数々の修法も


今では秘法部として

相伝されています


聖教をはじめとして

道場の荘厳図など


宮中の様子が

手に取るように


見えてきます


十八日観音供は

唐の皇帝が

宮中の慣わしとしたもの

だそうです


田舎のお寺の小庵に

そんな事は

無関係ですが


弘法大師さまが伝えた

宮中の慣わしを思うと


ありがたい

そのようなものを

同じように

拝まさせていただくことができる


時間と空間を超えて

共有して

リンクしているのだと


感激もひとしおになります


ここの観音さんは

天皇陛下のとは違うとか


ここのお不動さまは

お大師さんは関係無いだとか


浅い思いをする人が

いますが


観音さまも

お不動さまも


それそのもの

ほとけさま


弘法大師さまの

お伝えになった法は


まさに

そのものズバリなのです