お釈迦さまにも

「おまえも耕して食え」

と言って

村人は

自分たちの価値観を

押し付けようとしたのです


ちょいちょい

同じように


お寺に

何か事業をさせて


儲け話しや


人寄せの

イベントの話しを


持ちかけようと


お坊さんを見ると

法人の事業者

と見ている人


あるいは


出家者は

樹下成道の修行者

と見て


持戒清浄の

修行生活を送りながら


法事葬式には

黄金の袈裟を身に纏い


電話一本で

安くて迅速に


願いに応じて

やって来るのが当然だと

思われています


まったく

めちゃくちゃな話です


当院は

墓地事業もしていないし


ロッカー式永代納骨も

していません


初期仏教の幻想に毒されて

真っ裸に

布切れ一枚だけの

生活をしようとは

思っていません


毎日三座の修法に

朝暮の例時


非時食せざる

精進料理


加行道場のような

日々の生活に


憧れはしますが


無理なことは

しようとは

思いません


「お寺もこうして食え」


みたいな安易な誘いには

うかうか乗ろうとは

思いません


わたしの寂静の生活は

こうして

破られることはありません