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生きていれば、誰でも体の不調を感じるものです。
私もパースに家族で移住してから、何度も医療関係者のお世話になりました。
異国の地で暮らすうえで、病気や怪我ほど心細いものはありません。
言葉の問題もありますし、日本とは医療制度も違います。
パースの医療制度で日本と大きく違うのは、GP、つまり General Practitioner という制度です。
日本でいうところの、かかりつけ医のような存在です。
体調が悪くなった場合、まずはGPに診てもらいます。風邪や軽い症状であれば、その先生が治療してくれます。
さらに専門医に診てもらう必要がある場合は、GPが紹介状を書いてくれる仕組みになっています。
私が最初にお世話になったGPは、Dr. Hui という中国系の先生でした。
この先生には、本当にいろいろ助けてもらいました。
風疹にかかって高熱が出た時には、すぐに病院を手配して入院させてくれました。
痛風の治療でもお世話になりました。
また、先生はかなり早い時期から私の糖尿病にも気を配ってくれました。
そのおかげで、糖尿病の進行を防ぐことができ、今でも私は普通の人と同じように元気に暮らせています。
これは本当にありがたいことです。
私は子供のころに股関節の病気を患い、大腿骨の骨頭が壊死して人工骨頭に交換していました。
ところが、それが大人になってから痛むようになり、パースの整形外科で再手術を受けることになりました。
その時も、Dr. Hui の友人である整形外科の先生に執刀してもらいました。
手術は無事成功し、その後はゴルフもできるほどに回復しました。
今でも歩ける、ゴルフができるということは、私にとって大きな幸運です。
やがてDr. Hui 先生も高齢になり、引退されました。
そのころ私は、Morley という町に引っ越していました。
そこで次にお世話になったのが、Dr. Gay という先生です。
この先生は東南アジア出身で、パースで医師免許を取った方でした。
少し変わったところもあり、日本のアニメが大好きな、いわゆるオタク系の先生でした。
私は日本に行くたびに、彼が喜びそうなフィギュアを買って帰り、お土産として渡していました。
そのフィギュアは、診察室の片隅に飾られていました。
医者と患者という関係ではありましたが、どこか人間味のある、親しみやすい先生でした。
私が帯状疱疹にかかった時も、とても親身になって治療してくれました。
あの時のことは、今でもありがたい思い出として残っています。
残念なことに、Dr. Gay 先生は五十代の若さで癌で亡くなってしまいました。
その知らせを聞いた時は、かなりこたえました。
今思えば、そのことも、私がパースを離れて日本に帰国しようと思った一因だったのかもしれません。
長く暮らした土地で、親しかった人や頼りにしていた人が少しずついなくなっていく。
そういう寂しさも、年を取ると身にしみます。
たまたま私は、異国の地パースで素晴らしい医師たちに出会うことができたのだと思います。
専門医の予約に時間がかかるという不便さはありましたが、それを除けば、パースで受けた医療に大きな不満はありませんでした。
また、パース市内には日本語医療センターもあり、日本人スタッフや通訳が常駐していました。
英語に自信のない人でも、言葉の心配をせずに診察を受けられる環境があったことは、とても心強いことでした。
さて、体の健康と同じくらい大事なのが、歯の健康です。
私は生まれつき丈夫な歯を授かりました。
小学生のころには、歯の健康優良児として表彰されたこともあります。
ところが、せっかく良い歯を持っていたのに、子供のころから歯磨きはいい加減。
そのうえ甘いものが大好きな餓鬼でしたから、成人するころには口の中は虫歯だらけになっていました。
当然、歯医者にもよく通うことになりました。
パースに来てからも、歯医者さんには何度も世話になりました。
最後に会った歯医者さんには、こう言われました。
「デュークさん、あなたは歯の手入れが悪いから、しょっちゅう歯の治療をしていますね。
いっそのこと全部抜いてしまえば、歯痛もなくなりますよ」
今思えば、ずいぶん思い切った話です。
しかし、私はあまり深く考えもせず、その言葉に乗ってしまいました。
そして一挙に全部抜いて、総入れ歯にしたのです。
入れ歯は英語で Denture。
総入れ歯は Full Denture。
部分入れ歯は Partial Denture と言います。
また、歯科技工士は Dental Technician と言います。
オーストラリアでは、歯科医師と歯科技工士は上下関係というより、独立した専門家同士の対等なパートナーとして連携していました。
歯科医師が作成した指示書に基づいて技工物が作られますが、両者はそれぞれの専門性を尊重しながら協力する、かなりフラットな関係のように見えました。
私が世話になった歯科技工士は、近所に住んで開業していたイアンというロシア系の Dental Technician でした。
彼は実に職人気質の男でした。
何度でも調整してくれ、客が納得するまで仕事をしてくれました。
医師にも歯科技工士にも、私は本当に恵まれていました。
パースでの生活を振り返ると、仕事や人間関係ではいろいろな失敗もありました。
しかし、体を預ける医療関係者には、幸運にも良い人たちと出会えたと思います。
異国で暮らすということは、華やかな話ばかりではありません。
病気になれば不安にもなるし、言葉が通じなければなおさら心細い。
それでも、親身になって診てくれる医師がいて、黙々と腕の良い仕事をしてくれる職人がいた。
そういう人たちのおかげで、私はパースで長い年月を無事に過ごすことができました。
人生を支えてくれるのは、家族や友人だけではありません。
時には、病院の診察室で出会った先生や、入れ歯を直してくれた職人のような人たちが、知らず知らずのうちにこちらの人生を支えてくれているのです。
