声の話 その3 煮詰める | 小迫良成の【歌ブログ】

小迫良成の【歌ブログ】

「唱歌是生活的乐趣(歌は人生の喜び)」
「有歌声的生活(歌と共に歩む人生)」
 この言葉を心の銘と刻み込み
 歌の世界に生きてきた
 或る音楽家の心の記憶

さて、

私にとって「声」というものは

あくまで「天賦」の範疇であり、

個人の才覚や技能とは別物

…という認識ではあるのですが、

巷においては

自身の「声」に悩む歌手や

歌手志望の人は決して少なくありません。

 

うーむ、なんででしょうね。

 

例えば、

私の身長は160cmを下回っており

昭和36年生まれの男性としても

平均値を大きく下回っています。

 

国立音大時代に

私のレッスンを担当した助教授は

わざわざ実家の両親宛に

「あなたの息子さんは

 素晴らしい歌の素質を持っているが

 オペラ歌手になるには

 致命的に身長が足りません。

 とても残念なことです。」と、

現在であれば問題になりそうな

手紙を送りつけてきました。

 

夏休みで帰省していた私は

手紙を見せてくれた母と一緒に

「どないせえっちゅうやねん!」

と呆れて大笑いしましたが、

だからといって身長で悩んだことは

ついぞありませんでしたね。

 

なぜなら身長は天賦のもの。

 

「努力すれば何とかなる」といった

範疇のものではありませんから。

 

そんなものに

悩んだり苦しんだりするのは

はっきり言って時間の無駄なのです。

 

「動かせ得ない身体上の特徴が

 舞台人としての制約に繋がるなら、

 己の武器(長所)に磨きをかけて

 その制約の枷を吹き飛ばしてしまえば良い」

 

・・・と、

問題の解決法は非常にシンプル。

 

あとは、

「やるか、やらないか」という

自身の意志次第というところでしょうか。

 

そして、

これは同じく天賦の範疇である

「声」の場合にも当て嵌まります。

 

 

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美声、悪声、

 

いい声、悪い声・・・

 

すごい声、トンデモな声・・・

 

普段、なにげなく

「声」と呼んでいるもの、
これは一体、何なのだろう。

 

「声が出ているねえ」

 

「声が止まってる」

 

「鋭い声で」

 

「声が固い」

 

「そこは柔らかい声で」

 

「君の声はビヤンコだ」

 

「君の声はネーロだ」

 

「声と呼べる代物じゃねえ」

 

「声だけは立派」

 

‥‥いやはや、
幾らでも出てきそうだ。
この手の科白は。

 

 

「良い声」というのは存在する。


ただし、
「絶対的な良い声」というのは
どこにも存在しない。

 

なぜなら
「良い」「悪い」の基準は
その者が背負っている
「文化」に準拠するものであり、
その文化は国や地域
生活環境や社会環境
自然環境によっても多種多様、
更には
「容易に変化するもの」
ですらあるのだから。

 

ならばこそ、

どのような基準で
良し悪しの判断を行っているのか、
その根拠や
価値基準の背景を
しっかり把握せねばならない。

 

多くの人、
不必要な程に多くの人が
他人の声を
それぞれの価値で判断し
あるいは「助言」、
あるいは「感想」、
あるいは「評価」、
あるいは「悪口」として
語ってくる。

 

しかし
その言葉を浴びる側に
しっかりとした判断基準、
価値基準がなければ、
その言葉を受け入れるか否かの
判断すらまともにできず、
ただ徒(いたずら)に
動揺するしかなくなる。

 

若い時は特にそうだ。

 


「声」とはなにか。

 

そして

「良い声」とは
何を前提にしたもので
どのような根拠によって
どのように
「自分が得心している」価値基準で
判断されたものなのか。

 

煮詰めてみるといい。


…納得のゆくまで。

 

それが、その人にとっての
「良い声」となるだろう。

 

(2022年1月のノートより)