また神の悪口を書く事になる。なにかあれば、神を憎んで1日何度も罵る。
神は死だと思う。
死はよくよく考えてみれば、最終的な救いになる。この世が何もかも嫌になったら、そこに行けば新しい違う世界があるように思う。死の世界で安らげるように守ってくれるのが神だ、だから、殺生やわるい事や嘘をつくと神に嫌われるんだよ、と、子供のころに祖母や昔ばなしから教わった懐かしい記憶がある。
それはいやなものではない。
今、子供のころ教わった事と何もかもが違うから、そこに馴染めずに、また、あとから顔を出した神という概念に睥睨をくれ、気炎を吐かなくてはならなくなる。
移り変わりの早くて言う事のころころ変わる卑怯な世間が理解出来なくて、恐ろしくて、憎たらしくて、そこに留まって逃げられなくなる。
苦しくて生産性のない時間が嫌だ。
子供のころ自分は木が伐られたり災害で景色の変わるのが大嫌いだった。木が死ぬように感じたし、親しんだ風景がなくなってしまうと、家に一人で取り残された子供のように悲しく思っていた。
伐採や間伐をする大人を人殺しのように思い、災害が人間のせいでもあると知ると、人間が憎たらしくて堪らなくなり、身近に生えている木が一本、また一本と先立つ様に絶望した。
この変人を慰めてくれようという人は居なかった。
木の死は人の死とは違う、そう割りきるまでに時間がいった。
これほど難儀な性質の人間は自分以外にいようかと思う。木の伐採は自分にとって友の喪失といえる。
自分の孤独を確保し、他の人間と違う考えを持てるのは彼らあっての事だ。
そう考えると、人のまねをしてうつ病になってしまったのは仕方のない事かも知れない。
自分の孤独を貫く強さを持っていないから、そこに留まっていないといけないのだろう。
森に行って、中が朽ちかけた樹木の肌を撫でて詩を詠んだ。
騒がしく 風薫る花や涙空
枯れ枝の葉は凍てつく青に
葉をつけないのに空に張り出した枝は悲しく映った。春なのに悲しく思うのは何年目か解らない。