こんばんは、時代は学術から観術へ!
のシローです。
最近は、夜外に出ても、少し暖かい日があります。
少しづつ、春の訪れを感じる今日この頃。
今日は、映画「バべル」について。
『バベル』(Babel) は、2006年 のアメリカ映画 。監督は、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 。
2006年 カンヌ国際映画祭 のコンペティション部門で上映され、監督賞を受賞。菊地凛子 が米映画批評会議賞新人女優賞を受賞。2006年10月にアメリカで、2007年 4月末に日本で公開された。
監督の過去の作品と同じく、時間軸が交差する作品である。モロッコ 、アメリカ のカリフォルニア 、メキシコ のティファナ 、そして東京 と、遠く離れた地域の人物たちのそれぞれのストーリーが、ある事件をきっかけに交差する。
Wikipediaより
この映画を観終わった時は、「この世界を一体どうすれば、修復することが出来るのか?という、どうしようもない無力感、絶望感」を感じ、心の中をえぐられたような感触を覚えています。
この映画は、今の時代に生きる市民たちの苦悩を映し出しています。
それは、この時代に人間そのものが生きる時、どうしても起きてしまう、人間世界だけの苦悩だともいえます。
映画の中で、
モロッコでは、アメリカ人観光客が銃で撃たれ、この対応を直ぐにしてはいけない国のしきたりという境界線が、助けようとしても助けられない人間の苦悩を⇒国のしきたり、習慣、文化が人間の行動をストップさせている。
↓
古い習慣、文化の限界。
また、銃を遊びで発砲したモロッコの子供と親の関係、教育の苦悩を⇒命の尊厳性、死が一体何なのかがわからない為に、体罰で表現する教育の限界。
モロッコの子供同士の性的な興味に対する親の苦悩を⇒性とは何かを説明することができない、なぜそれがいけないのかを言えない聖書内のアダムとイブの教えが、性に対する説明と考えても分からない人間の思考の限界。
それを知らないふりをして放置した母親の苦悩を。
それ対する対応を怒りでしか表現することができないお父さんの苦悩。
メキシコでは、国境線を超えるときに、人種差別の苦悩を。
そして、東京では、ろうあ者と一般人という境界線が、女子高生に苦悩を。
この途方もないルールに現代人は苦しみ、悲しみ、そして違う事でそのストレスを解放させようとしています。
これらの原因を、観術ではイメージの限界とし、人類自ら創ってきたルールに、
考えに支配され、人類は分断され、隣にいる親、恋人、仲間、兄弟姉妹でさえつながることが
できない状態が続いているのが今の世の中です。
この原因を解決し、人間が今ここスッキリ生きることができ、人類本来の無限の可能性を
拓くことができる文化・文明を創ろうとするのが「観術のコンセプト」でもあるのです!
だから私は、この観術を使い、自らスッキリ、今ここ幸せ、最高の自分で、
この閉塞感漂う世の中をどうしても変えたいのです!
皆さんも、変えたいと思っていませんか?