DP2xではRAWが基本だと思う。

JPEGでは話にならない。


何もいじらないままのRAWはかなり薄い色乗りで正直見映えはしないけれど、極めて自然な描写だと思う。


しかし、ドラマにはあり得ないタイミングがある様に、日常の一コマを現実のままに記録するよりは様々なパラドックスがあった方が面白いに決まってる。


J1やS90でもRAWをいじってみたが、印象的に仕上げようとすればするほど、不自然でどぎつい表現になりすぐに嫌になった。

DPのRAWは物凄い情報が詰まっていて、弄ればいじる程素晴らしい物へと変化していく。


ホワイトバランスを替えるだけで本来の解像度が見えてきたりするのが不思議なのだが、

ハマった時には恍惚感さえ感じるし、この感覚は何度体験しても決して飽きない。


6月の雨上がりの日の朝に、道端で何気なく気になった大きな葉を撮影した。


ホワイトバランスを曇りに変更すると、その時に見た雨粒のきめ細やかさが本来の姿を現す。


photo:01




そして、この後にコントラストや彩度を大幅に変えていく。


すると、何気ない日常は一気にインドネシアの森で見かけた南国の植物の様な変貌を遂げる。


photo:02




DP2のRAWは色をどれだけ弄っても、破綻する事は無く、表現は無限である。


一枚の写真を創造する行為が、その時の己の気分や考え方を後に振り返った時に現在地を知るベクトルとなるのだ。



photo:03






上の写真の名も知らない植物は線路脇の石垣の上で生えていた。




前例と同じ様に南国をイメージした絵画調ではあるが、よく拡大してみると葉の先の色が変わり真紅の赤色になっている。

これは別に赤色の部分を意図的に書き足して作り変えた訳では無い。


あくまでRAWの持つ情報量を光の原則に従って方向性の軸を変えただけなのだ。



もしも色濃い物が調和し合う様な関係が、太陽光の強い南国やアフリカの地域において存在する仮説を立てた時に、

ひょっとするとDP2のRAWが持つ光の情報量がその文化や遺伝を反映していたのではないかと結論を出すならば、


もはや、これはただのモノとは思えない、

一つの摂理を持つ哲学的な何かではないかと空想すら考えて仕方なくなってしまうのだ。






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