3年前の震災を振り返る。
私は営業で久喜市に向かっていました。なんとかお客様とできる作業を終え、会社からの帰宅命令で家路に、一部停電で信号機が機能していない交差点があったものの幸いに大きなトラブルもなく帰宅。女房は倒れた仏壇や落ちた写真などを片づけていました。長女と次女は学校の教室で机の下に入り揺れに耐えていたそうですが体の小さかった次女は机といっしょにあっちこっちに揺り動かされていたそうです。学校全体が悲鳴で騒然としていたと泣きながら話していました。いつも元気な三女は女房と一緒に自宅のテーブルの下で大泣きしながら揺れに耐えていたそうです。小学生だった長女と次女は学校のルールどおり保護者への引渡しということで迎えに行くことになっていましたが我が家は三女が女房から離れなかったこともありご近所のお母さんにピックアップをお願いしました。結局夕方5時過ぎには家族全員自宅に揃い、冷蔵庫にあるもので夕飯をすませ全員が一部屋でくっついて床に着きました。子供たちにとって地震の大きな揺れはだいぶ強い心のダメージになったようでした。
これが我が家の3・11でした。
私たち家族には東北の経験を直に感じることは絶対に出来ません、私たちが経験した震災はそれでしかないのです。東北を風化させないと皆さんがおっしゃることはそのとおりだと思いますが、そもそも私たちは東北の震災を経験していない。東北の皆さんが経験した恐怖はしるすべもないのが現実です。結局のところ我が家では東北の皆さんが自力で復興をしていく姿を見守るしかないのでしょう。我が家は自分達が経験した震災をもとに自分達なりの備えをするしかありません。今は、改めて地域のコミュニティーを深めることが最も重要なのでしょう。本日、私たちが家族全員で万が一の時の集合場所を確認しました。