江戸時代に最も高級だった寿司ネタは?2貫で出てくる
ワケは? 寿司屋の裏話
ところで皆さんは、お寿司の生い立ちをご存じでしょう
か?
元々お寿司と呼ばれるものは、東南アジアから中国を
伝わって、縄文時代の終盤に稲作とともに日本に伝えら
れたと言われています。
その頃のお寿司は、熟(な)れ鮨と呼ばれ、魚にお米
と塩をつけて発酵させた、現在琵琶湖周辺で作られてい
る鮒鮨(ふなずし)のようなものでした。
それが室町時代になると、本来は数カ月かけて発酵さ
せるものを、まだ十分に発酵しきらないうちに食べたり
、発酵によって生成される酸味を、お酢によって代替し
たりして、短期間で食べられるお寿司が生まれました。
そして江戸時代の後期に、気の短い江戸っ子のニーズ
に応える形で、酢飯に魚を乗せてすぐに食べる早寿司が
考案されました。これが現在のにぎり寿司のルーツです
。
当時のにぎり寿司は、大きさが現在の3倍から4倍の大
きさで、お寿司というより、ちょっと小さめのおにぎり
という感じだったようです。
そして提供されるのも屋外の屋台が中心で、庶民がお
やつ代わりにちょっとつまんで食べる、とても身近なも
のでした。
まだ冷蔵庫はもちろん、製氷技術も確立されていない
時代ですので、ネタも鮮魚ではなく、酢で締めたコハダ
や、アナゴやアサリなどの煮付け、マグロの醤油漬けな
どでした。
価格は、現在の価格にして150円から300円程度と庶民
的なものでした。
ただ現在と違うのが、アナゴやコハダ、マグロ(赤身
)などが一律150円程度だったのに対して、当時300円程
度と一番高価だったのが玉子焼きだったということです
。当時はまだ卵が貴重品だったということでしょうね。
一方で、現在は高級なネタの代表であるトロは、脂っ
ぽいということでまったく人気がなく、家畜の餌や肥料
にされていたとのことです。なんとももったい無い話で
すね。
余談ですが、にぎり寿司を頼んだ時、通常2貫セット
で出てきますよね。それはなぜだか知っていますか?そ
の理由も、江戸時代にあるんです。
先ほど書いたように、当時のにぎり寿司は現在の3~4
倍程度と大きく、そのままではとても食べにくかったん
です。そこで食べやすいよう、大きなにぎり寿司を二つ
に切って提供したのが始まりと言われています。その慣
習が、2貫セットという形で現在も踏襲されているんで
す。
江戸時代ににぎり寿司が屋台で提供される庶民の食べ
物だったということは、浮世絵を見てもよくわかります
。歌川広重などの有名な浮世絵師の作品の中にも、庶民
が屋台でにぎり寿司を楽しんでいるシーンが多く描かれ
ています。
このように庶民の食べ物として生まれたにぎり寿司で
すが、戦後、衛生面の理由から屋台が規制された頃から
徐々に高級化が進み、専門の寿司職人が握る高級な食べ
物になっていきました。
日本においてはその後、回転寿司の登場によって、江
戸時代並みに気軽に食べられるものになりましたが、日
本以外の多くの国においてはまだまだ高級な食べ物です
。