先月スタートしたオンライン講座「豊崎由美の書評道場」に参加し始めました。

5月28日の講座で、受講生の採点がもっとも高かった「書評王」に僕の書評を選んでいただきました。

その書評を以下に転載します。

 

古賀及子「ちょっと踊ったりすぐにかけだす」(素粒社)

 

 

 

 

 北大路魯山人は「納豆はまぜればまぜるほど美味い」と言ったという。では、一万回まぜたらとてつもなく美味しくなるのでは?

 本当に納豆を一万回まぜてみた記事をウェブメディア「デイリーポータルZ」に書いたのが、ライターで編集者である古賀及子(こがちかこ)さんだ。評者はこの記事で古賀さんを知った。古賀さんはライター活動以外にも、一部で話題の「地味ハロウィン」(地味でどこにでもいる人にコスプレするイベント)の司会をしたり、ブルボン小林(作家の長嶋有)さんと一緒にポッドキャスト「古賀・ブルボンの採用ラジオ」を発表している。

 そんな古賀さんはウェブ上に日記を書き続けている。今年で中学3年になる長男と小学6年生の長女。母子三人の2018年からの日常を活写した日記の傑作選が本書『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』(素粒社)だ。

 折しもコロナ禍、母も子も自宅で過ごす時間が長くなる。退屈すぎる日々が延々と続く……かと思いきや、古賀さんの「日常に面白を発見するセンサー」はとても鋭敏なのだ。

 ある日、長女が眼科で検査を受ける。看護師が「気球の絵をみてください」と言った瞬間に「面白センサー」は鋭敏に反応する。

〈気球の絵……気球の絵だ!〉〈いま目の前の娘はその気球の絵をみてるのか。娘が先に大人になってしまった〉。

 視力の悪い人間なら誰でも一度は見たことがある「気球」に、古賀さんほどヴィヴィッドな衝撃を受ける人が他にいるだろうか?

 古賀さんが〈竹から生まれなくても赤ちゃんは発光している〉と表現する子どもたちも、否応なしに日々ぐいぐいと成長していく。

 長男が13歳になった時、グーグルアカウントから〈「息子さんは保護者権限を卒業しました」と通知が来た。通知はタップするともう消えて、どこにも残っていなかった〉。

 長女が小5、長男が中2になり〈小5といえばのび太だ。そして中2といえばエヴァンゲリオンに乗る人の年齢と聞く。世界の主人公たちがこの家にはぱんぱんになっている〉。 子どもの成長の描写が、楽しくも切ない。

 一方、母の「面白がり」は子どもにも伝染するようで〈息子がミュージカル形式で明るく「母上~クーラーの~リモコンを~貸して、貸していただけませぬか~」と歌い上げながらやってきたので、私は暗い感じのリズムに転調させて「息子よ、息子よ、ならぬ、ならぬ~」などと歌って遊んだ〉。こんなに愉快な家族も実在するのである。

 母子三人の生活は楽しいことばかりではないだろう。が、日常に「面白」を能動的に探していけば、世界は意外に愉快で豊かだと再発見できる。それを本書は教えてくれる。

 本書で言及されていないが、古賀さんは現代米文学の巨匠、トマス・ピンチョンや、現代中国文学を代表する作家、閻連科の小説の愛読者でもある。ぜひ古賀さんによる書評や、読書をめぐるエッセイも読んでみたい。

(新聞書評 20字×60行)