実は今年の誕生日は、大叔母が亡くなって、お通夜に行っていました。
本当は皆に誕生日を祝ってもらうつもりで、予定も空けてもらっていたのにごめんなさい。
我が家は本当に親戚が少ないのだけれど、そんな数少ない親戚の中でも
大叔母は特に私のことを可愛がってくれた人でした。
孫が居なかったから、私のことを孫のように思ってくれていた。
夏の初めにお見舞いに行った時はまだ全然元気そうだったから、
遠征から帰宅して間もなく聞いた訃報に驚いた。
つい先日会ったばかりじゃないかと思ったけれど、
よくよく考えたら最後に会ってから一か月以上が経っていて、
ようやく自分が長い間家を空けていたことに気づいた。
…全く、こんなことで自分の浦島太郎っぷりに気づかされるなんて思わなかったよ。
おばちゃんは昔の人の割に変わっていて、若い時はお転婆だとか色々言われてたみたいだけど、
とても楽しい人だった。
病院で話していた時に、おばちゃんは
「こうやって病気になっちゃったけど、おばちゃんは自分の好きなように生きてきたから、
なーんにも後悔ないのよ。今すぐ死んでも、寿命だったんだなって思える。
だから、ごろんたちゃんも自分の好きなように生きなさい。
人の言うことを無理やり聞いて、後でああしておけば良かったなんて言わないように、好きに生きなさい」
と言っていた。
お坊さんが読んだお経の中に
「いつまでも生きていられると思うのは煩悩」
っていう意味の言葉があって、その言葉とおばちゃんの話が自分の中で繋がった感じがした。
今までの私は、遠い目標に向かって、逆算して生きてきた。
今の苦労や嫌なことは全部未来への糧になるって思って、飲みこんでいた。
だけど、明日生きてるかなんて分からないからこそ、
今の自分が何を思って、どう感じているかを大切にすべきなんだって思った。
そして、その気持ちと目標の重さを考えて答えを出さなきゃいけないってことが分かった。
目標に向かって計画的に生きてます、は聞こえの良い言葉だけど、
それで目の前の気持ちをないがしろにしちゃうのは、ただの言い訳なんだなって気付かされた。
自分の誕生日という「生」を思う日に人を見送って、いつも以上に考えさせられた。
でも、おかげで少し良い方向を向けた気がした。
人から見たら散々な誕生日だったのかもしれないけど、最後にちゃんと見送ることが出来て良かった。
これからは今まで以上に、自分の気持ちを大切に生きようと思う。