ここもついに建て替えられたか
それはといえば、川世線41号鉄塔他である。
ずっと前は群馬幹線だったものか
実際、多摩川横断箇所には、その時代のレンガの基礎を流用した箇所がある。
昔はそのまま群馬幹線の形が川崎まで通じていたらしい。
それが1940年(昭和15年)に建て替えられて、下段に千南線を併架したレトロな送電塔としていたらしい。
正に群馬幹線の大正10年(1921年)の建設時の博物館級に貴重な、当時の建設写真の写真帖だって!もう持ってるぜい![]()
群馬幹線の原型は取れなかっただけどね~w![]()
それがまたさらに世代交代で、建て替えられたようだ。
ここもギリギリまで残っていたようだな。w
22年まではあったらしい。
そうか、22年までは待っていてくれていたのか・・・
しかし残念!そこの部分は、個人の撮影はできていないw![]()
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三角帽子ありバージョンの原型だったから、特に気にしていなかったのかも![]()
そこは耐張鉄塔で除却するのにも手間がかかるから、残っていたように思える。
建て替え前は両側に背の高い鋼管単柱鉄塔に囲まれていたから、一旦そこで送電線が低い位置を通過していたみたいだ。
両側は背の高い近代の鋼管単柱鉄塔となっているから、そこは建て替えではなく、除却したようだな。
除却後は送電線を張り替え


