篠崎駅から小岩駅まで移動しながら撮影へ行った時の日記 その5 | 配電ウォッチャー!!ゴロンディーナー!

篠崎駅から小岩駅まで移動しながら撮影へ行った時の日記 その5

 

マンションがあんまりなくていいな。

江戸川区は戸建ての方が多いかもビックリマークウシシ

うちんところはマンションだらけで風も入らないから、暑っ苦しくてしょうがない。wゲラゲラ

10階以上は、マジ勘弁してもらいたい。

空が狭くなる。

うちんところは皆、広大な畑なる土地を売っては、マンションになる傾向が多い。

なぜ戸建てにならない?

 

 

しかし、ここはなんか住宅街といえども、背後には場違いな低圧分岐箱があるな。

 

 

そのまま地中に下がっており、どこかの引き込み用に思えた。

 

 

空中分岐だが

 

 

反対側のワイヤーが三角形

 

 

さっきの順光側w

 

 

この場合の変圧器は三相4線式のため、異容量となる。

 

 

 

 

今後はこういうトランスも、姿を消すのだろう。

 

 

 

 

この昭和の基本形もだいぶ前に撮影したが、再撮影だな。wウシシ

 

 

 

まだ架空地線残ってるな。

これこそ撤去すべきでは?wゲラゲラ

山梨のところ撤去しててよw

 

 

錆びも濃いめ

 

 

なお!ここでは、変圧器の世代の違いも比較できますな。

次のは三相200Vの縦長の動力用変圧器がある感じだ。

 

 

しかし形的には変わらず、昭和の旧基本形

 

 

 

ここはちょっと傾いているな。

 

 

架空地線の支持はキャップだが、半ボルトなしだから古いイメージありビックリマーク

 

こうしてみると、江戸川区は鳥居型や1本腕金よりも、半ボルトなしの架空地線キャップの方が圧倒的に多いように思える。

1本腕金はたまにある感じだ。

 

 

続いてこれは!

 

 

その左に曲がって撮ったものビックリマーク

トンボ腕金と低圧用の角型腕金がすれすれ

 

 

元どぶだったような道を通って

 

 

反対側の撮影も行っとく~wゲラゲラ

 

 

その前に、ここで飲み物休憩wウシシ

 

 

ではw

 

 

 

半ボルトなしの旧基本形の方の建柱年は

 

 

1982年だった。昭和57年か

半ボルトなしのキャップの普及時期は、1970年代~1980年代だろう。

東京都内だとこれは、世田谷辺りは長いものが、大田区東雪谷では短いのも普及していた。

 

 

 

架空地線の支持が腕金になった途端ビックリマーク

 

 

 

 

急激に古いイメージが増すねwウシシ

 

 

ここももう変台は取り換えるべきだろう。錆びが凄い。

 

それからここの低圧カットアウトは、1個しかないな。

ってことは、単相2線式の低圧電灯線の立ち上がりか?

立ち上がり線も細いから、多分そうだと思う。

 

 

なお、こちらの建柱年は、1966年であった。

昭和41年か

正に耐塩皿がいしの全盛期だな。

ここではそれは1つもないけどwウシシ

 

変台は恐らく、その当時ものかもはてなマーク

 

柱もまた砂利が多く含まれているから、そこからも古いのがわかる。

 

 

 

ここは平成初期頃に柱ごと更新したようだ。

あまり興味なし。w

 

 

さぁ、次は篠崎公園方面かはてなマーク

 

 

ここは変圧器の上の方が錆びてるな。

 

 

腐食して穴が開いてしまっては、ダメになる。

そろそろ取り換えどきか?

 

 

 

縦長の動力用変圧器も、今後は姿を消すのか?

 

 

錆び!

 

 

 

篠崎公園の一部に着いた。

次はその公園の西側にあるレストラン付近w

そのレストランも行ったな~昔、じいさんばあさんと!ウシシ

この地は色々な意味でも思い出がある。ウシシ

 

小さいころからよく行ってましたから!

何泊かしたことだってあった。

 

続く。