花総線の嵩上げ鉄塔他の撮影へ!
そうさ
昨日は、都営新宿線の篠崎駅からJR相武線の小岩駅間を縦横無尽に移動しながらの撮影だったんだ。w
ゴロンディーナーのじいちゃんばあえちゃん家のあるエリアですな。
両駅とも、花火大会の時は大混雑する駅である。
(もう歳だから行かないけどw千住の花火は家からも見えるようになったが、江戸川のはさすがに見えないw
)
順番が前後し、これは小岩駅寄りだが
(あぁ、今はもうなんか順番通りに書くのがめんどいから、箇条書きwやる気があれば後で順番通りに書く予定)
おや?花総線にも嵩上げ鉄塔が存在か?
周囲は背高いマンションに囲まれている。
だが、その塗装はだいぶ剥げており、次は再び防錆塗装を施すよりも!建て替えられるような感じあり。
2015年に発見したものだったが、撮影はだいぶ先延ばししていた。w
なお、上部の形については、嵩上げ時に変更の模様
これは大正期の形でない。
足立線もそうだったが、嵩上げされたような形はこんな感じだった。w
当時物は恐らく、下の方と基礎の部分であろう。
↑元の高さはこうか?
こんな都市化されてちゃ、元の高さで現存し続けるのは厳しいであろう。
嵩上げ時期は、建物が増えだした昭和中期頃か?
それにしても!
大正期建設のものだと、プレートは指定の位置に固定されていない例がたまにある。
(その例を挙げれば、過去に甲信幹線のタイダウン鉄塔を行った際に確認したものがある。)
普通は、その送電線の起点側にプレートを固定するが!
ここはなぜか腕金のある方角に、プレートが固定されていた。
プレートの拡大はこんな感じだ。
大正12年(1923年)10月建設であるのが確認できた。(関東大震災の1か月後か)
これは今もなお現存している
江戸川横断の2基のものと!
↑青井線の矩形鉄塔の!
建設時期とも一致する!
そうさ、大元の昔はどうやら、谷塚線とも直接つながっていたみたいなんだよな。
(国土地理院の昔の航空写真で確認済み。)
花畑変電所は後からできたからな~(同変電所は、昭和2年(1927年)に落成!ここポイント!)
だから大元の昔はそこを通らずに直接!千葉の市川までを結んでいたらしい。
いや、その先か?
なお、その大正12年当時の!大元の昔の起点は、当時実在の吾妻川電力の羽根尾発電所だった模様
↑ここか
もうそっちの方では、当時の送電塔はないみたい。
今は上信線と合流か
あれはガラスがいしがあるものもあって(現存せず。)、昭和初期の建設だったよな。
ということは、それ以前は別の送電塔があり、たった10数年で建て替えられたことになる?
そこからズラーッと!千葉の市川までを結んでいたようだ。
さあ!続いて、配電線の大物はこれだい!w
送電線だけじゃないよ~w
中央固定ながら1回線の単相2線式高圧配電路を分岐したものだ!
中々ない構成だし、そもそも銅線のまま残っているのが珍しい!
架空地線も沿岸寄りの地域ながら未撤去である。
↑架空地線キャップも、これでもか!というほどにまで錆びているものもまだまだ結構あり。
やり出し装柱の旧基本形となるが、アームタイがアングル含めて2つずつあるのも実在していたようだ。
つーか
この耐塩皿がいしはまだ残ってるのかw
とはいえ、今じゃもう江戸川区では唯一となっとる耐塩皿がいしかと!
確か、菅原橋のとこは撤去されたよな?w
そこは高圧引き込み線のジャンパー線支持用だった。
拡大はこんな感じ。
iPhoneでの拡大再撮影となったため、解像度はちょっと悪い。
まだ相当な拡大は無理か
それから江戸川区の配電柱は、プレートにしっかりと大きく!建柱年の印字があるから、年式の確認は至って!かなり容易である。これ、江戸川区の特徴
(※唯!最近になり、柱ごと設備更新したり、新設したりした箇所はこの限りでない。)
ほとんどの地域では、そこまでの記載はない例が多い。
そうそう、五番街、昭和通り、小岩中央通りなどが交差する箇所にある!
初代の縦幅の狭いDアームは、まだ現存しておったぞ。
斜めに交差する箇所だから、撮影は大変だった思い出だけは残る。w
見た感じここは左隣にある引き留めも!そのようである。
それから鹿本橋の方にも行ってみたが!
なんだ、橋の架け替えではないのか
今ある車道の部分は、今後歩道橋にするらしい。
今ある歩道橋は、撤去の模様
この橋ももう大分古いもんな。
航空写真を見ると、新中川は人が造ったようで、昭和30年代にはあるのが見て取れる。
↑今後は、後から新設された鹿骨新橋を活用するらしい。
こっちの方はもうできて、25年ぐらいは経つと思う。
この通り沿いは、電柱は最初からなかったよw
途中にある神社の参道は、この道ができたことで途中で分断された。
↑ん?誰かいる。
なお!鹿本橋については、闇金ウシジマくんでも出てきたのは、今も記憶している。
あれか~
しかし、こんな道幅の広い道があるのに、途中で通行止めかよw
ほい!
それじゃ付近の配電線も見てみるかw(やっぱりそれかw
)
ほい!奥の自動開閉器付きの電柱である。
これは多分↓
ここの2系統のいずれかに繋がっている感じに思える。
うち、もう片方あるこの系統も、↑この2本のいずれかに接続だろう。
こっちのスイッチはオンだが
↑この都市型配電用の開閉器なる近代的なのは、スイッチはオンであるのかどうかの判別ができかねる。w
普通、開閉器は、背後から見てハンドルの左を引くとオフ、右を引くとオンになるから、その考えが通用するなら、これはオン
↑ちなみにこのCVTケーブルとなっとる方は
ここから来ている。
こっちの開閉器もその考えが通用するならば、オンである。
この開閉器は手動式である。自動式だとその考えは通用しない。
片方は連絡線なのかな?それか事前に2系統に振り分けておいて、橋を渡ったところでわかれゆくか?
それからもちろん!そのそばにある背の高い紅白鉄塔による小松川線の送電塔も撮ってきたぞ。
だがここは再撮影という感じだな。w
だいぶ前の2009年頃に撮ったような思い出がある。w
鉄塔の敷地内におった猫
年式も再撮影しとく?w
ここは大元の昔は、群馬幹線の支線だったところだよな?
「関東の電気事業と東京電力 電気事業の創始から東京電力50年への軌跡 資料編 東京電力株式会社 2002年3月31日発行」の131ページに載っている。
この当時、黒部幹線の終着地は、川崎の京浜工業地帯である。
昭和の終わり頃までは、亀戸線のような(東京電燈らしい昔の)送電塔が建ち並んでいたが!わしが生まれる2年前には建て替えの模様w
なんだ~もう数年早く生まれておれば、その様子も写真に収められたのにな~w
それじゃちょっくら、154kVを分岐している東小岩変電所にも行ってみるか
これは多分、この辺一帯の配電用変電所として機能している感じだよな?
構内の母線を引き留めている長幹がいしは、そろそろ取り換え時期か?
クレビスキャップ?が錆びている。
入口
自販機も置いてある。
看板
ピカちゃん、まだいたのか
なお、文字が消えている部分の内容はこうであろう。
「このなかに入ったり ものを投げたりしないでください。」
多分赤字で書かれていたものが、雨水などで消えてしまったのだろう。
なお!
紅白鉄塔以外の送電塔の建て替え時期については!
平成元年6月のようだ。
1989年か(1月7日までが昭和64年)
あの新中川を超える背の高い紅白鉄塔とは1年の差があるな
Whitney Houston - So Emotionalの時代か
いや、歌の方が2年古い。
ひとまず、駆け足のアップということで!