昨日の大物
昨日の大物は、まずは情報提供のあった、JR中央東線の石和温泉駅より南西方面にある
架空地線の分岐をする、レアな鳥居型ならず。
なお、このほうは
丁度ストリートビューでは、分岐先の隣接配電柱が、柱ごとの設備更新をする前触れであるかのような設備が見られたから、分岐先の架空地線は、また取り払われていないかが心配になっていたが!新しい柱を建てても設備更新の時期は遅れているのか、運よく残っていた。
↑この通り、まだ設備更新前である。
右側が古い柱
柱ごとの設備更新をして、架空地線を残すか残すまいかは、微妙なところである。
地域によって違いあり。
残すのは稀である。
埼玉はなんか偶に残してるのがある。
なお、高圧上腕金にはカラスの巣あり。
ちなみにこれより少し南側の住宅の方の
鳥居型の架空地線は、全部撤去されておったので、そこは注意願いたい。
↑そこには、鳥居型から支線を下げたものもあったらしいが
ここもやはり、架空地線は撤去されている。
やはりそこは、もう全部撤去されてしまうのか?
(いや、甲府駅北側のは残っていたぞ!)
鳥居型から下がっていた支線も張り替えたようで、今はコン柱のバンドから支線を下げている。
ここは灯動の両方の変圧器がレア
↑ま、1本でも架空地線を撤去すれば、隣接配電柱も広範囲に渡って、それは撤去するよね。w
↑一方これは、それらに向かう途中で新たに発見したものw
三相200Vの動力線だが、ここはそれを腕金を伸ばして分岐しているのがレアかな。
ここは丁度そこに、カラスの巣ができてしまっていた。
やはり抱腕金となった箇所は、カラスの巣ができやすい。
それから付近のゴルフ場付近にも後2本程!
↑レアもの
↑あり!
これなんかまるで、やじろべえみたい。
そして最後の撮影は!
自分で見つけた甲府駅北側
正直なところ今回は腹の調子が悪くもう暑いから、1箇所目で終わりにしたかったっていうのはある。wでも往復5000円かかって遠い場所であるから、今回も頑張った。w
↑駅を出てすぐにあるこれもレアだ。
山梨大学付近が中心だな。
ずっと坂道を上がって行く感じで、行きはきつかった。
夏日で、休憩のできそうな公園のベンチも熱い。w
ここにはクランプがいし2:1による鳥居型ならず。
こちらも鳥居型ならずとしては珍しく!架空地線分岐仕様である。
なお、今回はお礼に場所をお教えしましょう!
昨日の撮影である。w
撮影は、お急ぎください!
(↑通販かよw)
継ぎ足し箇所はやはり、溝付き腕金だな。
普段は動力用で使われる、900mm腕金でも使用した感じかな。
さらに他には、鳥居型から支線が下がるものも!
(架空地線の撤去は順番に行っているのか、甲府駅北側の架空地線は、まだ残っていた。)
鳥居型の横腕金の端から支線が下がるという、レアの中でも相当なレアものである。w
クランプがいしも、いかにも昭和らしい2:1の配置!
なお、その年式は昭和50年!1975年か
古い設備にしては、柱の色は比較的まだ綺麗なほうにも思える。
調べると降水量も少ないらしいから、それも絡んでいるかなぁ。
後は山に囲まれているから、海の塩による影響も少なそう。
鳥居型から支線を下げたものは、少なくともその年代頃まで普及させていた感じだったのかな。
↑やっぱりこのね~横腕金から支線が下がったものが、中々ない!
あったとしても!架空地線は既に撤去済みというものが多い。
JR宇都宮線の石橋駅付近のも結局、架空地線が残ったままのものは撮れなかったよな。w
あそこの鳥居型は場所的に1500mmか
なお!この種類でよくあるのは
腕金の真ん中寄りから支線を下げたものである。
恐らく基本がこれだったのだろうな。
(↓食事中の方は、以下の小さい文字の部分のは飛ばして下さい。)
しかし昨日は参ったな~石和温泉駅到着後に、ひさひさに外で腹を下すという。w
(また小麦アレルギーか?)
改札を出たところで物凄い腹痛に襲われ、改札を出てしまったから付近の公園の公衆便所を目指したんだが
(首都圏の駅では、改札内に便所があることが多い。)
いや~しかしここの公衆便所は惨状だったぞ~
最初に男子便所に入るもそこには個室便所がなく、仕方なく左側の誰でもトイレに入ったんだ。
で、入った直後に啞然
詰まったトイレを誰か流したのか、〇〇が溢れていたのだった。
(朝から汚い話スマンwだって、ガチな話で、しかもそのような惨状は、今回初見であったかよ。)
あれでは私のように腹を下したものや、誰も使用できないままであるから、私はこの後、市のページで問い合わせるつもりである。
その後はもう他の公園の公衆便所も頼りなく思えたから仕方がなく、同駅の便所を目指した。
↑同駅では
改札を出た後に公衆便所があった。
今回は、前日にそばを食い過ぎたせいか、もしくは電車内の冷房による腹の冷えか、それとも緊張による過敏性腸症候群か?
なお、緊張したのはこれである。w↓
↑電車内からJRの武蔵境変電所の動画撮影を行なったのだった。
(↑それだけで緊張するとかwwお前、それでよくテレビに出れたよな。
w
テレビは味方がいるが、外では一匹狼だ。w
一匹狼は撃たれ弱い。)
写真はその切り抜きである。
↑同変電所は、地上からでは壁があって、よく望めない。
だから今回は珍しく、JR中央線の電車内からの撮影を試みたんだ。
↑ちなみに同変電所については、中央線電化記念写真帖 鉄道省東京電気事務所 昭和6年4月30日発行にも載っている。
それを見ると、同変電所構内の新鶴見線と!
武蔵境-蕨間(※1)の一部の送電塔は、正しく大正15年(1926年)(※2)からなんら変っていない当時物もあるようにみられる。
↑記念帖の方では丁度、武蔵境変電所と題し
そっちの方が左橋にどでかく載っていた。
部材は特になんら変わっていないと言ってしまったが、一部、補強はされているように見える。
見た感じ、腕金に横型の部材を追加された模様
左右反転して向きを合わせると一致!
新鶴見線の方は、変電所敷地外の別のもので同年代を確認済み。
(※2):蕨線どうだろうか?まだそっちは年式を見ていない。
(↑無電柱化はされても、送電塔の方は無鉄塔化はされまい。w)
↑背後にあるのが武蔵境から蕨間を結ぶものか
(※1):現在は、戸田駅周辺は一部地中化されているためか、一応現在の電線路名としては、その区間までは戸田線を名乗っている。その後が戸田-蕨間との表記があった。ちなみにだが1990年代前半頃までは、その終点の蕨変電所?から金町を結んだ送電線もあったようである。それがこれである。(1950年代のがくっきとみえるかも)常磐線の電化記念帖の絵葉書で見た。次いで金町-新小岩間のは、大半は新金貨物線の線路上に門型鉄塔となって続くから、その方は残した感じか
こちらも近距離を撮ったが、プレートは見えず。
さぁ~山梨の撮影も残すところ2箇所か
↑今回終えた撮影の部分w
(だって、なんかそのままスクショを載せると、規約違反になるんだろ?だからモザイクw)
↑残った撮影の部分中央道沿いなど、縦横無尽に!離れ離れにある場所もw
うち1箇所が、駅からだいぶ遠い場所であるから、どこかレンタサイクルを借りれそうな場所を探そうかな。
なお、今後しばらくは、猛暑による撮影シーズン外であるから(猛暑はさすがに無理w)、涼しくなってからになりそうだ。w
ちなみに猛暑は猛暑用で、ちゃんと駅近の撮影を用意してある。w(猛暑用は笑える。ww)
それからこの時期は、いずれとも始発で行かなくてはならんから、正直きつい。w
とりあえず今回は、架空地線がなくなっては困るような場所の撮影のみ、急いだ感じであった。w
とりあえず今回は今回で!いずれの撮影とも成功したが、いや~朝は参った参った。
それから中央線は、土曜の2週連続の人身事故があったらしいが、昼で免れた。
先週が朝っぱらからで行くのを中止
帰りはもう秋葉から先がかったるく面倒くさいから、武蔵野線経由で帰った。w
そっちは空いており座れた。w
最近のお気に入りの曲
ソフトクリーム - 熱帯魚のタキシード
昭和の電柱には昭和の歌だよ。w